溶ける、季節風
阿近は、滅多に局の外へ足を踏み出さない。
大抵は宛がわれた室に籠っているか、他の局員が試行錯誤する様を湯呑み片手に見物している。
さもなければ、折角殺気石で抑圧された己の決して低くは無い霊力値に気付かれてしまうから。
開発局の外壁を殺気石で築くことを提案したのは他ならぬ阿近である。
勿論その最大の理由は、頻繁に起こる局内での爆発被害を外部へ漏らさない為だ。
大抵実験の失敗原因と言うのは、被験体に過度の霊圧を掛け過ぎたか、さもなければ被験体が予想外の力を発したか。
普通の科学者がやるような薬品を間違えて混ぜ合わせてドカン、なんてヘマをする奴はこの熟練した同胞たちの中にはいない。
否、あまりいない、というのが正確な表現かもしれない。薬の調合を手伝わせていたら、見事に眉を焦がしたオペレーター見習いなんてのもいる。
殺気石で霊力の放出を防ぐことで局外へ漏れる被害を最大限まで抑える。ついでに騒音もだ。
それが、あまり強くは無いにしろ開発局が殺気石を用いている理由である。
だが、提案した阿近の思惑には少しの勝手があった。
己の霊圧を、他所に悟らせないこと。
真央霊術院首席卒業は、頭脳だけで為し得るものではない。それ相応の霊力も当然に必要である。
気付けば流魂街にいたその時から、阿近の霊力は他に比べ随分と飛び抜けていた。
その強すぎる力と、外貌の幼さにそぐわない冷めた視線、そして桁外れの知能指数。
中央四十六室が危険分子と見なすには十分で、十三隊入隊と同時に有無を言わせず蛆虫の巣へ放り込まれたのだった。
配属先の隊へ顔を出す暇もなかった。今やその隊が一体何処だったのかすら覚えてはいない。
最も、学院にいた頃からあまり実戦が好きでなかった阿近にとって、おとなしくさえしていれば何をしていても咎められることの無いその空間は決して居心地の悪いものではなかったのだけれど。
しかし、時代は変わった。
先代局長と現局長にあそこから連れ出されて以来、己には己の居場所が出来た。
時代が、世が、自分の技術を欲している。
当然のように、しかし突然に与えられた居場所は快いものだった。
飽くなき探求心と好奇心を全面に押し出すことが許された場所。
敵を斬り殺すことも、斬り殺される不安さえもない安寧。
今でこそ副局長の役職に付随して第三席の地位を与えられている阿近だが、正直上を目指す気は毛頭無いし、このまま生涯を薬品と煙草の匂いに埋もれさせるのが理想的だと思っている。
だからこそ、鬼の血を継いだ己の高い霊力値を他所に悟らせ、隊長の欠けにより確実に実力と安定を欠いている他隊に助力を求められるのは避けたい話だった。
刀の扱いこそ得手とはしていない(と阿近は思っている。それが周囲と合致した見解かどうかは別として)にしろ、鬼道の腕は今の十三隊において十指に入る自覚がある。
さりげない封具で抑えてはいるが、見る者が見ればきっとその事実に気付かれてしまう。
気付いていて尚、気付かないふりをしてくれる者も己の上司や、頻繁にここを訪れる十三番隊の隊長等幾人か存在したが、あまり事が大きくなるとのうのうと研究をする暇も与えられないに違いない。
上司に忠誠を誓っているわけでもないし、何処かの戦闘狂のように上司の下で戦って死にたいなんて小指の甘皮ほども思っちゃいない。
だが、安穏とした日々に別れを告げて流血迸る戦場に身を翻したく無いのも事実だ。
*
阿近は今、悠然と回廊を歩いている。
見上げれば吹き抜ける春風と共に抜けるような晴天が目を焼いた。
踏みしめる大地は全て己の為に存在すると言わんばかりの傲然たる闊歩が目指すのは、馬鹿でかい霊圧を迸らせる瀞霊廷の一角。
止めた足の先には、橙やら赤やら漆黒やら金やら、兎に角沢山の色が協調性も無く一様に薄紅色の花弁の下に介している光景だった。
「あ、来たわね阿近!」
その中でもひときわ派手な形をした女が此方を振り向く。つられて顧みた橙色の頭は、酒がまわっているのか何処か赤い頬をしている。
霊力云々というのは、ただ己が奇抜な世界の空気に触れることを厭うが為の言い訳だったのかもしれない。
事実、人と接することにそれほどの不快を覚えなくなった今となっては、こうして昼日中に外を歩き他隊の者達と杯を酌み交わすことにさえ嫌悪を感じないのだから。
「てめえ、酒なんか呑んで大丈夫なのか?」
「呑んでねーよ!まだ未成年だっつーの」
「じゃあ何でそんな赤い顔してやがんだ」
「やあねえ、阿近ってばまーたそんなこと聞いて」
どかりと腰を下ろすと、乱菊が揶揄するような口調で合いの手を入れる。
じとりと睨みつけ、それでも言葉の真意を測れない己の背をばしばしと叩く手。
相変わらず目元を赤く染めた橙頭の少年からひょいと湯呑を奪うと、少年までもがぎゃあぎゃあと騒ぎ始めた。
人とのふれあいをこれ程に快く思うようになったのは、きっと瀞霊廷が深い驚愕と悲哀に包み込まれたあの日から。
悲しみに彩られた空は、己の孤独までもを吸い上げて言ったのかもしれない。
実戦は嫌いだ。刀に血糊がこびり付く感触も、鬼道が相手に穴をあける瞬間も。
だが、この少し腑抜けた子供を護る為なら、それも良いかもしれない、なんて思う自分は大分重症なのだろう。
桃色の花弁が、ひらりと手中の水面に波紋を浮かべた。
阿近さんの過去を捏造してみる。
やっぱりああ見えて凄く戦闘能力の高い阿近さんが好きみたいです。
強すぎる霊力も、彼にとってはコンプレックスだと良い。