漆黒ひらり
「おわ、阿近さん……それ、どーしたんだ!?」
背を向けて窓際に立つその人に、黒くて細長い尻尾が生えていた。
「うるせえっ、じろじろ見るな!!」
否、正しくは尻尾では無い。猫や犬についているような本物のそれでは無くて、只襟足で一つに結ばれた長い黒髪が腰のあたりまで細く垂れているのだ。
それが優雅に閃く様が、まるで尾が振られるかのように錯覚させたのである。
彼は短髪だ。その髪が見た目に反して随分と柔いことを一護は知っているが、最後にここを訪れたときそんなものは無かったし、一ヶ月やそこらであれ程髪が伸びるとも思えない。
ともかく。
理由は知らないがこの状況から明確に分かるのは、彼がそれに対し余り良い感情を抱いていないということ。
「…………えらく急に髪伸びたな?」
「馬鹿野郎、自然現象な訳あるか」
忌々しそうに自分の髪を引くその姿を見て、痛くないのかなどと場違いに考えるが今の彼にそんなことはどうでも良いらしい。
「えへへー、似合うと思いますよね?黒崎さん」
振り向くと、室の入口に眼鏡の女の子が立っていた。
その三つ編みの不自然さに目が止まらなければ、比較的まともなルックスに入る局員の一人だ。
只、彼女が技局創設メンバーの一人だと言われた時、その思考は訂正した。
三つ編みの不可解さよりもその身体的成長速度の不可解さの方が今は気にかかる。
「強力な育毛剤の開発を頼まれててね、試薬が出来たから誰かに呑ませてみようかと思ったんだけど」
そういってちらりと顧みる先には黄土色の大きな禿げ頭が光っている。
視線を感じたのか、くるりと此方を振り返った彼は眼鏡女子を見止めてがおうと吠えた。
「俺はハゲに自信と誇りを持ってんだ!」
ハゲ、という言葉は適切ではないのだろう。何しろ彼の様相からして髪がふさふさと生えている方が似合わないだろうから。
ハゲというのは生えていた髪が無くなって、貧相になった状態のことを言うのだと思う。うちの校長のように。
「うちの技局ってハゲ多いからさー、誰か験体になってくれると思ってたんだけど、皆納得してくれなくて」
悩んでいた所に通りかかったのが阿近なのだという。
「ほら、阿近さんって普段は髪短いじゃない?呑ませてみて、髪が一気に伸びたら成功だと思うことにしたのよー」
かくして実験は成功した。
普段なら技局の同胞にタダで差し出された茶など絶対に受け取らない阿近だが、連日の徹夜に拠る疲労が判断を鈍らせたらしい。
眼鏡女子がこそりと机の上に置いた湯呑を、何のためらいもなく呑みほしたが後の祭り。
翌朝起きてみれば、髪は見事腰まで到達したのだという。
「効果の持続期間は一ヶ月、一定の長さまで伸びたら多分もう伸びないから、それが最長と考えて良いと思うわ」
躍起になって髪を元の長さまで削ぎ落とした阿近は、翌朝鏡の前に立ち昨日朝と何ら変わらない姿に絶句する。
そんな彼に加えられた説明がそれで、結局試飲から一ヶ月が経過するまで、髪と奮闘するのをあきらめたらしい。
「邪魔なんだよこんなもん、ぱたぱたぱたぱたと忙しねえったらありゃしねえ」
阿近が本棚と机の間を行き来する度、身体の回転に合わせて長い黒髪は優雅に揺れる。
時折激しく動くと髪先はぱしりと阿近の背を打って、それが余計に彼を苛立たせるようだ。
そんな仕草をいつものようにソファに座りながら見ていると、何故か物凄く面白い。
普段感情を露わにしない阿近に代わり、髪が心情を表現しているかのようだ。
真剣に机に向かうときは静かに垂れ下がり、ばたばたと忙しないときは一緒にはたはたと翻る。
穏やかに窓辺に拠りかかっているとそれは優雅に風を舞い、転寝をすると上下する肩と共に静かな安息に浸るのだ。
「…………見せもんじゃねえぞ」
ぎろりと此方を竦める眼光は、長く垂れ下がった前髪が普段以上にその表情を隠す為かいつにも増して凶悪。
だが、ひょいと尻尾を揺らしながらの牽制は失笑を誘うものでしか無くて。
次に来た時お前はもういないんだなと、深紅の紐で束ねられたそれを面白くもなさそうに、一護は指先で弄んだ。
長髪キャラが好きです。48巻の一護の破壊力は凄まじい。