夢現の返礼

 一見普通に歩を進める、しかりやはり何処かおかしい阿近さんに従って着いたのは、十二番隊舎の一角にある小奇麗な建物だった。
 幹部クラスの死神は皆隊舎の中に自邸を持っていて、その規模は席次に比例するらしい。
 第三席に技局の副局長を兼ねている阿近さんの邸は、決して狭くは無い。

 がらりと戸を開けて入ると、中は手入れが行き届いていて居心地の良さそうな室があった。
 草履を脱ぐなりどさりと壁に持たれてしまう阿近さんは、やはり少し酔いが回っていたのだろうか、酒屋で見たときよりも血色が良くなっている。

 「水呑む?」
 「ああ、頼む」

 結局俺は、あの場で殆ど酒を口にしていない。
 香りだけで既に酔い気味だったので、無理矢理に進めてくる一角と恋次の魔手から阿近さんが守ってくれたのだ。

 「布団、隣の部屋で良いよな?」
 「…………悪いな」
 「良いって、別にこれくらい」

 水を汲んだ湯呑みを手渡し、隣部屋の襖を開ける。
 一人分の簡素な布団を敷き終え元の部屋へ戻ると、ぽつりと机の上に空の湯呑みが置かれていた。

 「阿近さん?」

 細く開けられた窓から吹き込む風で、黒の短髪が揺れている――――壁に背を凭せ掛けたまま眠ってしまっているようだ。

 「ほら、こんな所で寝てたら風邪引くぜ?」
 「…………ん」

 ふと、その装束が普段のような白衣でないことに気付いた。
 居酒屋で会った時から抱いていた何気ない違和感、それは彼が黒の死魄装を纏っている事に起因していたようだ。
 阿近は死神である。故に死魄装を着ていること自体に何もおかしなところは無い、というよりいつも着てはいるものの白衣でその印象が希薄になっているだけなのだ。
 白のイメージがある。それは研究者の着衣がそうさせるのかもしれないし、服の色に負けず劣らず青白い顔色がそうさせるのかもしれない。
 だから黒一色に身を染めた彼の容貌は何処か新鮮で、黒のせいで余計に際立つかと思われた肌の白さは、酔いにほんのりと赤く染まっているせいかそれ程病的に感じない。
 寧ろ扇情的にすら思える――――有り体に言えば、エロい。

 肌蹴た襟に妙な動悸を感じて、一護はぶんぶんと頭を振った。
 (この人無駄に色気振りまきすぎだ――――いやいやいや今はそんなこと考えてるときじゃねえだろ!)
 送ってきたのが自分で良かったと心の片隅で安堵しながら、一向に目を覚まそうとしない阿近に肩を貸す。
 担ぎあげるのは簡単だが、睡魔を押して研究に没頭する姿を幾度も見ているせいで安らかな眠りを阻害するのは申し訳ない。

 仕方なしにずりずりと足を引きずった状態で布団まで運び、ぽすんとその上に身体を横たえてやる。
 電気を消そうと立ち上がった瞬間、何かに袂を引っ張られる感触がした。

 「え」

 気付けば布団に倒れている。そしてその上には何故か、

 「あ、阿近さん!?寝てたんじゃ――――」
 「うるせえ、黙ってろ」

 目は確かに開いている。それどころかその暗紅色の瞳には何処か欲情的な炎が灯っていて。
 突かれた腕の間から脱出しようと試みるのと、上から咬み付くような口づけが襲うのは同時だった。

 「――――っふ」

 息を継ぐ間もなく与えられる唇。
 固く閉ざしていたはずの歯列はとうに割られて、舌の滑る様な蹂躙に意識を持って行かれそうになる。
 呑みきれない唾液が口の端を伝って零れ落ちた。

 「ん………あっ、は」

 腰のラインをなぞる手のしなやかな動きと、首筋に埋められた髪、徐々に下へと下がる舌の感触にこらえきれず吐息が漏れる。
 なけなしの気力を振り絞って抵抗を試みようにも、割られた足の間に膝を突かれていることもあり自由に動けない。何よりその強烈な色香に、理性が体に巡りきらないのだ。


 「っあ、」

 与えられる快感は今まで経験したこともないもので、体に迸る熱を持て余す。

 「あ、あこ、」
 「一護」

 普段その唇からは紡がれることのない自身の名前。
 低い声音で発されるその響きに酔いしれて、一護はぎゅっと目を瞑った。


 「…………阿近さん?」


 ふと、舌の侵攻が止まった。
 不思議に思うのも変な話ではあるが、兎角その急激な変化に戸惑って一護が顔を覗き込むと。

 「…………マジかよ」

 安らかな吐息を立てて眠る最愛の人がそこにいた。


 *


 目を開けると、雨戸を閉め忘れた窓から差し込む陽光が橙色を反射しきらきらと輝いている。
 ああやっぱり睫毛まで橙色なんだな、と何気なく思考を巡らせたところで、阿近はがばりと身を起こした。

 「…………な」

 何故此処に一護がいる。
 何故隣ですよすよと眠りこけているんだこいつは。
 死魄装姿で眠っていた自分もさることながら、まずこの状況に理解が追いつかない。

 起き上ったそのままの姿勢で茫然自失している阿近の前で、布団ががさがさと動いた。

 「あ…………おはよ、阿近さん。目ぇ覚めたか?」
 「あ、ああ…………おはよう黒崎」

 何だかんだ言いつつ良く寝ちまったな、と目をこする一護。
 此方を見たまま放心している阿近に気がついて、あーあやっぱりな、と言った体で苦笑いしながら口を開いた。

 「…………もしかして、昨晩のこと全然覚えてねえ、とか」
 「…………斑目に無理矢理居酒屋へ付き合わされた」
 「そうそう」
 「京楽隊長が伊勢副隊長に拉致されて、松本が拗ねながら帰った」
 「何だ、覚えてんじゃねーか」
 「…………」
 「…………あ、もしかしてそこから何も覚えてねーの?」

 そう、覚えていない。
 居酒屋を出た所で記憶は途切れ、今に繋がっている。

 今一護を前にして、夜道を一緒に歩いたことや水を差し出されたことが途切れ途切れに思い出されるが、肝心の寝る直前に関しての覚えは無いままだ。
 普段ならあの程度の酒量で記憶を飛ばしたりはしない。
 連日の過剰勤務による疲労と、ハイペースでのアルコール摂取が祟ったのだろうか。

 「…………悪い」
 「いや、まあ…………阿近さんが気にする程のことでもねえよ」

 寧ろ思い出してもらわない方が、と明後日の方向を見ながら照れを隠すように頭を掻く。

 「しかし何でお前が横で寝てたんだ?」
 「っ!」

 何気なく最大の疑問点を呟いたつもりだったのだが、予想に反して一護の動きはびしりと固まった。
 不可解に思ってじっとその顔を見つめていると、ふと肌蹴た襟元が目に入る。

 「! お前、これ…………」
 「…………」

 髪の裾からのぞくのは、赤い鬱血。
 はっきりと見えるのは一つだが、他にも幾箇所か薄く色づいている部分がある。

 「もしかして…………いや、もしかしなくとも、俺だな?やったの」
 「…………はは」
 「――――ッ、馬鹿野郎、何でもっと早く言わねえんだ!」

 最悪だ。
 こんな形でこいつに跡を残すことになるなんて。
 己が覚えていない所で、さぞ怖い思いをさせたのではないだろうか。
 がばりとその腕の内に自分の身を引きよせる阿近の力に驚いて、その悔恨の深さを知った一護はくすりと笑った。

 「まあ…………別にこれと言ってどうしようもないことはされなかったし?」

 本気で嫌だったら、こんなまでやられる前に力ずくで逃げてるさと軽い調子で言う一護に眩暈を覚えて、阿近は深い溜息を吐きだした。

 「…………鉄壁の理性がこんな形で破れるとは思わなかったぜ…………」

 出会ってから決して長くは無いが、これまでだって幾度も一護を押し倒しそうになったことはある。
 だがその度、目の前の少年の純粋さを汚すのが申し訳無くて、情欲を理性で抑え込んで来たのだった。

 「え?理性が何だって?」

 勿論そんなことは露ほども知らない純情少年は、阿近の呟きに不可解そうな顔をしている。

 「…………何でもねえ。それより悪かったな、本当に」
 「いいよ、覚えてねえのに謝られてもこっちが申し訳ねえし」
 「埋め合わせは必ずするから、な?」
 「別に良いっつってんのに――――」

 困り顔で言う一護が、ふと思いついたような表情で此方を見た。

 「何だ?」
 「…………埋め合わせ、してくれんなら…………一つ頼みたいことがあんだけど」
 「言ってみろ、出来ることなら何でもする」
 「――――一護、って」
 「あ?」
 「一護って、名前で呼んでほしい」
 「…………それだけで良いのか?」
 「ああ、それで十分だ」

 というか、今まで名字で呼んでいたのが不思議なくらいだ。それくらい易い。
 何の意図を以て一護がその条件を提示して来たのかは分からないが、兎も角それでこいつの気が済むならそれで良い。

 「…………阿近さん」
 「何だ?」
 「時間、良いのか?昨日、明日も仕事あるっつってたけど」
 「――――っ!」

 ばっ、と窓の外を見れば、太陽はもう随分高い位置にある。
 こりゃ遅刻だな。多分技局始まって以来初めての。

 「…………一護」
 「! 何だよ」
 「今から出勤したところで、俺はきっと局長の雷を買う」
 「え」
 「ついでに鵯州のもな」
 「!」
 「だから、今日は行かねえ」
 「…………良いのかよ」
 「普段クソ真面目に仕事してんだ。地獄蝶の一匹飛ばしときゃ何とかなるだろ」

 今日やるはずだった研究も、もともとはあの眼鏡が引き受けたやつだ。
 俺がいなくて期日に間に合わなくても自業自得だろう。

 よっ、と立ち上がり阿近は一護に言った。

 「お前、今日むこうに帰るんだろ?」
 「そうだけど」
 「何処か、案内しやがれ」

 お前の好きな所。
 普段研究室に籠り放しだから、偶には現世に出向いてやるのも良い。
 お前は埋め合わせなんて良いと言うけれど、此方の都合に突き合わせたまま返すんじゃ俺の気が済まねえ。

 そう言うと、一護はぱっと顔を明るくした。
 酔いに任せ記憶を失うなんてのはこれで勘弁だが、想定外に掛けた迷惑が想定外の恩返しを生むのはそう悪い物でもない。



 R指定を書くのは苦手です。お目汚し失礼しました。
 受けが酔って攻めが葛藤するのも良いけれど、その逆もそれはそれでアリなんじゃないかと思う。