衒いなく一刺

 一護が最後に此処を訪れてから丁度一ヶ月が経とうとしている。

 一護は毎月決まった日に、総隊長へ定例報告を行う為尸魂界にやってくる。
 おそらく今の時期学校の試験等は無いはずだから、特別な事情でもない限り昼過ぎ辺りに姿を見せるに違いない。

 「今日あたり、黒崎さんいらっしゃいますかねー?」

 茶を乗せた盆を手に、リンがにこにこしながら此方へやってくる。
 自室に籠っているときは、身の回りの雑用は大抵自分で行うのだが、鵯州の験体解剖を見学した後何とはなしに中央技術室に身を置いていた己を見止たらしい。

 因みに雑用というのは多岐にわたり、周囲の者が決まりの雑用係に押し付ける中阿近は掃除までも全て自分で行ってしまう。
 理由は明快、雑然としているようで実は計算された(要するに傍から見れば散らかっているようにしか見えない)物の配置を他人に弄られては堪らないからだ。
 書架の並びから机上に積まれた書類の山まで、他人が触れることは決して許さない。
 唯一の例外は、それなりに己の癖と気質を把握している一護位のものだろうか。
 一度不在中に研究の為奥から引っ張り出した蔵書を勝手に本棚へ戻されてしまったことがあったが、その配列が見事に己の中の法則と一致していたので、それ以来一護が己の部屋を片付けることに関して阿近が口を挟んだことは無い。

 「さあな。別段用事が無けりゃ来るんじゃねえか」
 「またそんな言い方して、黒崎さんに嫌われても知りませんからねっ」
 「は。あいつが俺の何処をどう嫌うのか、嫌われるような箇所があるなら是非教えてほしいな」
 「もう、阿近さんってば惚気ちゃってっ」
 「…………今の科白の何処に惚気の要素があったのかは知らねえが、てめえこんな所で暇を潰している時間があるのか?」

 いつの間にか眼鏡がリンと一緒になって己を茶化している。
 技局の鬼とまで言わしめる己がこんな奴らにあれやこれやと口出しされている、その事実が気に入らない。

 「いいわねえ阿近、可愛いぼうやとお遊びなんて」

 飽きたら絶対こっちに回して頂戴ね、表面的にも内面的にも、彼は理想的な験体だわぁ、と呟く采絵をしっしっと手振りで追い払う。

 「それにしても、阿近がそこまで一人の人間に執着するっていうのも珍しいわよねえ」
 「やっぱり采絵さんもそう思います?」
 「ですよねー、自分以外の人間なんてみーんな只の観察対象でしかないって思ってる阿近さんですもんね」
 「血の色緑だしね」
 「あらあ、阿近の血がそんな普通の色してる訳ないじゃないの」
 「え、じゃあ何色なんですか」
 「そうねえ、今度私の実験に付き合ってくれたら教えてあげるわあ」
 「てめえら、人のことを何だと思ってやがんだ」

 止め処ない暴言に阿近が苛々と口をはさむ。
 言わせておけばこいつら、本当に己のことを何だと思っているのか。
 変人揃いの技術開発局、筆頭と言われる俺や局長を抜きにしても、その代名詞は確りと成り立つのだ。
 良い加減自分達も傍目には只の変質者だということを自覚して欲しいものである。人のことばかり変わり者呼ばわりしやがって。

 「黒崎さんも黒崎さんですよ。何で阿近さんなんでしょうね?」
 「他にも良い人は沢山いるのにねー」
 「冷酷非道だし人相悪いし」
 「ボーイズにラブっちゃってる感じだし」
 「敢えての阿近よねえ。ああ見えて実はアブノーマルな趣味なのかしら」
 「アブノーマルって?」
 「駄目よツボクラくん、そこは突っ込んじゃ」
 「駄目なんですか?」
 「ふふ、その内君にも分かるわよぉ」
 「…………」

 がたりと音を立てて、椅子から立ち上がる。
 これ以上聞いていても不毛な遣り取りしか持ちあがらないだろう。一護が言外に貶されているのも聞くに堪えない。
 しかしはっしと掴まれた袂に、帰還は阻害された。
 じろりと睨みつけると、眼鏡が満面の笑みで此方を見ている。

 「阿近さんは、黒崎さんの何処が良いんですか?」
 「…………何処でも良いだろ」
 「またまたぁ、そんなこと言っちゃって」
 「でも、阿近さんがどう思ってるにしろ、黒崎さんが来るようになってから確実に僕達は助かってますよね」
 「そうねえ、少なくとも技局の二番手が過労に倒れる頻度は格段に減ったわねえ」

 一番手とは勿論我らが局長・涅マユリ十二番隊隊長殿である。
 彼は確かに天才肌の研究者であるが、如何せん自分の興味があることにしか手を出さないので、過労に倒れ職務が滞ったなんていう話はついぞ聞かない。
 というか、技局創設時から共に在るもののそんな事態に遭遇したことは一度たりともない。
 局長が興味の範囲でしか動かないということは、必然的に隊務の負担が隊長以下のものにのしかかるということで。
 実務はともかく、書類処理は実質副隊長のネムと第三席の阿近が二人で請け負っているのである。

 自ら研究を展開せず、ただ局長に付き従い補佐・験体役をこなすネムはまだいい。
 問題は、隊務と同様に自らに任された研究・開発をも手掛ける阿近である。

 その実比較的生真面目な彼は、関心の向く研究以外に上から下りた隊務も確りこなす。自然、その仕事量は増える。
 研究に専念する鵯州や采絵のそれとは比べ物にならない量の仕事を日夜彼はこなしているのだ。

 当然時間は足りない。
 ワーカホリックなだけに自分のことには殊更無関心なので、睡眠や休憩、食事までもが削られる日々。
 過労の余り倒れることも少なくは無かった。
 だがそれも、一護が此方にやってきて何だかんだと阿近の世話を焼くようになるまでのこと。

 「てめえらが、たかだか俺がぶっ倒れた程度であいつに地獄蝶なんざ飛ばすからだろ」
 「たかだか、じゃないですよ!阿近さんが倒れて困るのは、末端の僕達なんですからね!」
 「その研究を肩代わりする私達だって、結構迷惑してるのよお」
 「そうですよ!」

 血相を変えて、現世の生活を放棄してまで駆けつけた一護の気迫に呑まれ、結局その日は一日布団で過ごすこととなった。
 正直、倒れるとは行ってもそれは数時間の休養を取れば回復される程度の過労なのだが、その時の一護の表情が何故か心に焼き付いて、以来阿近は体調を崩すほどに無理は重ねないように心がけている。

 「俺は別に、体調管理の為に一護を傍に置いてる訳じゃねえ」

 面倒そうに答えてやると、途端二対の目が俄然輝き出す。
 心底鬱陶しそうな視線をやっていた俺だが、ふと近づいてくる霊圧を感知して、気付かれない程度ににやりと口の端を釣り上げた。

 「そうだな…………あいつを気に入ってる理由なんざそれこそ星の数ほどあるが、強いて言うなら」
 「言うなら?!」
 「…………笑顔、かもしれないな」

 そう、それは間違いなく数えきれない一護の長所の筆頭を担う点。
 眉間に皺を寄せたまま器用に形作られる笑顔は、見る者の心を洗う。
 仕事が中々思うように行かず荒んだ精神状態を持て余しているとき、あの笑顔を一目見るだけで気にかけていた些細なことがどうでも良くなってしまう。
 研究が上手く行かなくて無駄に焦る心持も、その笑顔が傍に在ると自然解き解されて行く。
 あいつが此処へ来るようになってから、技局の雰囲気は格段に良くなった。勿論、俺自身その笑顔にどれだけ救われているか分からない。

 「ま、一つ挙げるならこんなところじゃねえか?」
 「やだあ、阿近さんたらべた褒めじゃないですかあ」
 「そこまで阿近に言わせるなんて、ホント、あの子只者じゃないわねえ」
 「ふふ、今の科白、黒崎さんに聞かせてあげたいですね」

 阿近さん普段仏頂面しかしてませんもん、絶対今の聞かせてあげたら喜んでくれますよ、と言うリンの背後にある一つの窓。
 換気も兼ねて大きく開かれた扉の下にうずくまる一つの影。

 「…………反則だ」

 滅多に見られないその爽やかな笑顔と衒いのない称賛に、頬は真っ赤に染まっていることだろう。



 思惑無き薄刃、の阿近さんバージョン。