おやすみなさい、良い夢を。
もうそろそろ来る頃か。
時計を見てふと思い至った直後、来訪者を告げる呼び鈴が遠くで鳴り響いたのが聞こえた。
幾つかの霊圧が来訪者に近づいては離れて行くのを肌で感じながら、黙々と阿近は作業値の入力を進める。
少しの時が過ぎた後、コンコンと遠慮がちなノックの音が聞こえた。
おう入れ、と促すと、からりと引き戸の滑る音が静寂に満ちた部屋に響く。
「よ、阿近さん」
「毎度毎度、健気なことだな」
総隊長へ報告にやってくる度、一護は技局の自室を訪れる。
局の敷地内でもひときわ奥に在るこの部屋に来るには、幾人もの局員と接し、幾度もその勧誘(以前、鵯州が真剣に被験体にならないかと口説いているのを見たことがある)を退けなければならない。
決して良い気はしないだろうに、それでもそれらを一つ一つ丁寧にやり過ごして此処へ来るのだから、律義なことである。
「屋根伝いに来りゃ面倒な奴らの相手なんかしなくて済むんだぞ?」
「いや、一応邪魔しに来てる訳だし。玄関から入るのが礼儀っつーもんじゃねえの?」
眉間に皺を刻みながら苦笑するその笑顔を温かく見ていた阿近だが、ふと違和感が脳裏を過った。
「一護」
「何だ?」
「お前…………ひょっとして、体調悪いんじゃねえのか?」
「な、何だよ急に。別に何処も悪くな――――」
尋ねた瞬間ぴくりとこめかみが揺れるのを見逃さない。
必死の否定を遮りこつんと額をぶつけ――――ようとしたが、きっとこの三本角が当たったら痛いだろうと思い直して、取り合えず首筋に手を添えた。
「あ、阿近さん?!」
「馬鹿野郎、やっぱり熱あんじゃねーか」
頬が赤いのは、決して己が触れている為だけではないだろう。
顔を近づけて良く見れば、瞳も心なしか熱っぽく潤んでいる。
「何で現世で大人しくしねえで、無理してこっち来たりしたんだ」
「べ、別に無理なんかしてねえよ」
「嘘付け。そんなあからさまに病人です、なんて顔して。何が『無理なんかしてねえ』だ」
言うなり阿近は屈みこみ、するりと一護の膝裏に腕を差し入れたかと思うと、一も二もなく横に抱き上げた。
俗に言う、お姫様抱っこというやつである。
「ちょ、何すんだ――――」
「耳元でぎゃあぎゃあ騒ぐな。病人は黙ってろ」
その痩身の何処にそんな力が隠れていたのか知らないが、自分よりも華奢な身体に容易く抱きあげられていることが信じられない。
しかしそうはいってもやはり何処か足元は覚束無い気がして、思わず首に手が回ってしまう。そんな所作が無性に恥ずかしい。
加えていつも以上に身体同士が密着しているものだから心拍数は一気に上がり、益々体調が悪化してしまうんじゃないかと真剣に思った。
見ると彼の方はいつもと何ら変わりない態度で、悠々と一護を抱え部屋を横切ろうとしている。
自分だけどぎまぎとしているのが何だか情けなくて、この煩い鼓動が触れる部分を介して彼に伝わらないように祈るばかりだ。
塞がった両手をものともせず開けられた扉の先は、仮眠室と思しき部屋だった。
とはいってもそこには寝具は一つしか置かれていなくて、おそらく上位の席官でありまた副局長である彼が専用にする所なのだろうと、熱で霞む思考が巡る。
「ほら」
ぽすんとベッドの上に下されて(技局は他の隊舎とは異なる作りになっている。全ての部屋がフローリングか、石畳で出来ている為布団を敷くスペースが無いのだろう)目の前の人を仰ぐと、阿近は困ったような笑みを浮かべていた。
「そんな赤い顔して、何処が『大丈夫』なんだ?一護」
「こ、これは阿近さんがあんなことするから…………!」
「あ?俺が何をしたって?」
「うっ…………」
「ほら、ごちゃごちゃ言ってねえで早く布団被って眠らねえか」
俺が手隙なら現世まで送って行ってやるんだが、生憎仕事が立て込んでいる。
放っておいても此処に留まり続けるなら、せめて眠れ。眠って身体を休めろ。
「眠るまで、傍に居てやる。適当に時間が経ったら、起こしに来てやるから」
髪に触れる柔らかな感触に、気はともかく限界を感じていた身体は次第に意識を薄めて行く。
瞼が落ちる寸前、額に微かな唇の感触を覚えた。
夜が更けるにも構わず一向に目を覚まさない一護を、阿近が苦笑交じりの口付けを以て目覚めへと誘うのはまた別の話。
多少の無理をしてでも、一護は阿近さんに会いに来ます。笑
阿近さんは自分のことには無頓着だけど、一護のことならどんな些細な変化でも真っ先に気付いてあげる。