さようならは言わない、

 「お久しぶりです、浦原元局長」
 
 死神としての力を失くし、僅かな霊力しか保持されていない身体は勿論霊圧探査の能力をも失っている。
 当然背後から歩み寄る霊圧に気付くこともなくて、ざっとわざとらしく大地が踏みしめられた音に漸く背後を顧みた所である。
 
 「おや、久しぶりですねえ阿近」
 「その節はどうも」
 「いえいえ、此方こそ面倒な役目を頼んでしまってスミマセンね」
 「何を今更。貴方が創り出した鬼道でアレが抑え込まれているのなら、その当面の処断は技局に委ねられて然るべきです。上二人が外している今、次位にある俺が責を引き受けるのが道理」
 「ふふ、あの小さかった阿近が第三席ですか…………全ての隊長・副隊長が不在の今、おそらくこの尸魂界で最も高い戦闘能力を有するのはアナタですからね。頼りにしてますよ」
 「過ぎた言葉です」
 「謙遜なんて柄にもないことをしますねえ」
 「…………で、俺は如何すれば良いんですか」
 「そうですね、一先ずあの磔架を瀞霊廷内に運んで貰わないといけません。アタシが持って行っても良いんですが、技局の皆さんに見つかった時が怖いですしねえ」
 「あのまま運んでも?」
 「――――まあ念は押せるだけ押すべきです。もう二、三重結界を張りましょうかね」
 
 よっ、と声と共に腰を上げる浦原を見送ってから、改めて向き直る。
 その深緋の双眸は何処までもいつも通り、風の立たぬ水面のように凪いでいた。
 
 「…………阿近さん」
 「何だ?ちょっと見ねえ間に男前が増したんじゃねえか?」
 
 断界の影響で少し伸びた髪をぽすぽすと叩きながら皮肉っぽく口の端を釣り上げる仕草はやはり平素と何ら変わるところは無い。
 
 此処が彼の自室ではなく流魂街の片隅で、纏う衣が普段とは違い空しく破れた死魄装であること。
 白衣を纏い額に三本の角を根付かせた目の前の人物はあくまでいつも通りなのに、自分が今彼に抱いている感情もまたいつもと変わりはしないのに、自分達を取り囲む状況だけが酷く非現実的。
 それが何故か無性に可笑しい。
 
 「何で、こんなところに居るんだ?」
 「レプリカの空座町を現世へ送り込んだとはいえ、尸魂界に持ってくれば本物の安全が確実に保証される、なんてことはねえ。
 そりゃあ、現世に比べりゃ桁違いに危険度は低いが、一応此方にも守りは置いた方が良い、っつー話になってな」
 
 駆り出された上級職に変わって、俺をはじめとして幾人かの席官が周囲を護衛してた訳だ。
 しかしそうは言ってもその姿はやはり普段研究室に籠っている時と全く同じで、斬魄刀すら携帯している気配がない。
 ま、結局藍染の侵入を防げなかったんだから俺たちの存在は無意味だったんだが、と重要なことを飄々と言ってのける不遜な態度も勿論健在である。
 
 「お前の戦い、全て見せて貰った」
 「…………そっか」
 「よく、やったじゃねえか。なあ?」
 「…………」
 「失ったものは大きいかもしれねえ。だが、護り抜いた物の大きさの比じゃねえ筈だ。こんな下手な科白は吐きたくねえが、お前は文字通り世界を護ったんだ、一護」
 
 最も、死神の力どころかもうすぐ残った霊圧まで全て失う、なんて未来が待ち受けてるのに心中穏やかで居る筈はねえと思うが。
 
 「…………知ってたのか、阿近さん」
 「只の憶測だ…………あれだけの力を使ったんだ、代償が何であれ驚くことじゃない」
 
 さらりと言う。
 大きな風が吹いたので木の葉は全て地へと舞い落ちました、とでも言うように。
 当然を口にするかの如く。
 
 「勿論、お前にとって死神の力を失うことは重大なことかもしれねえ。だが、そうなると分かって、あの技を使ったんだろう?」
 
 藍染が断界を抜け飛び出た一護の霊圧を察知出来なかった理由。
 それはおそらく一護が霊圧を放棄したから、なんて安易な理由ではないだろう。
 原因はもっと単純だ。一護の霊力の高さが、藍染の霊圧探査限界値を遥かに上回っていた。ただそれだけのこと。
 現世で崩玉との融合を迎えた藍染の霊力値が一護にしか察知出来なかったのも同じ原理で、一護の実力を遥かに下回るたかだか隊長格の霊力ではその探査限界値を藍染の霊圧まで高めることが出来なかったのである。
 
 「具体的に何があったのかは知らねえ。だが、現世から此方へ向かう道すがら、お前はかつてと比べ物にならない程の力を手に入れた」
 
 その力を以てすれば、何も己の死神生命をかけた大技を出すまでもなく藍染を倒せたに違いない。
 阿近の霊力値が幾ら人並みより高いとはいえ一護のそれには遥か遠く及ばないが、それでも簡単な推測でこの結論を導くことが出来た。
 
 「だが、お前はそれをしなかった。片手間にあしらうことを是とせず、全力で藍染に立ち向かった」
 
 その結果としての、力の消失。
 
 「お前は当然、その力を使えば死神としての命が絶たれることを知っていた」
 
 だが、迷いもなく一撃は放たれた。そしてその一撃は、確かに藍染に罅を入れ、その野望を打ち砕くに至る結末を招いた。
 
 「…………藍染は、自分以外の全てを下等に見下してたけど、それでも最後は全力で俺を倒そうとした。全力を出してくる相手を全力で迎え打たねえのは、フェアじゃねえだろ」
 「ふん、全く…………甘いというか融通が利かないというか、本当に馬鹿正直な奴だな」
 
 虚ろに言う一護を、阿近はやはり変わらぬ苦笑を以ていなす。
 
 「お前は本当に凄い奴だ、一護」
 「…………」
 「強く、なったな。初めて会った時よりずっと」
 
 初対面の時から確かに霊圧は他の死神より頭一つ飛び抜けていて、その潜在能力も測り知れるものではなかった。
 だが、背負うものが増えた今、戦闘能力は勿論その心の強さは以前のそれと比に出来る程のものでない。
 
 「…………強くなんか、ねえよ」
 
 これ程手放しに阿近が自分を褒めることは珍しい。共に過ごした時間は僅かだけれど、こんなに真直ぐな称賛を彼から受けたことは無かった。
 だが、その言葉が今は重い。
 
 「俺は、強くなんかねえ…………!」
 
 全力には全力を以て、確かにそれは大切なことで、藍染を倒すのに最後の月牙天衝を使った意図もそこに根ざすものではあるけれど。
 本当は、ただ怖かっただけなのだ。
 片手間にあしらうことで敵がまたさらなる変貌を遂げることが。
 皆に貰った時間と、残された最後の希望が自分の些細なミスで無に帰してしまうことが。
 現世の仲間が、尸魂界の死神達が、瀞霊廷の大切な人が判断の誤りで消えてしまうことが。
 
 「俺が、阿近さんが言ってくれるみたいに本当に強かったら、」
 
 ぎりりと奥歯をかみしめて、唸るような声で言う。
 
 「あんたにそんな顔、させる訳ないだろ…………!」
 
 そんな、苦渋に満ちた淋しげな眼を、させる筈がないじゃないか。
 その表情は相変わらず読み取り難くて、常人には普段と何ら変わらない無表情に見えると思う。
 けれど、そんな欺瞞は自分には通用しない。
 
 「一護…………」
 「俺は、確かに世界を護ったのかもしれない。けど、あんたにそんな顔をさせる為に戦ったんじゃねえ…………!」
 
 言葉が、止まらない。
 最大の不安が潰えた今、この空虚な時間に彼と二人で在ることが自分の心の枷を溶かし、自分に在りもしない虚言を紡がせている。
 否、それは虚言では無くて心の一番深い所に在る、云い様のない虚無感なのだろう。気付きたくもないけれど、気付くまでもない。
 
 「俺は…………!」
 「もういい、一護。それ以上言うな」
 
 突如、震える声がした。
 驚いて伏せていた顔を上げようとするのと、目の前が衣の白で染まるのは同時。
 その細腕に抱きかかえられたまま、そろりと背に手を回すと、阿近がくすりと笑う気配がする。
 
 「馬鹿野郎、最後くらい格好つけさせやがれ」
 「…………阿近さん」
 
 泣いては、いない。けれどその声は情けない程戦慄いていて。
 彼のそんな様子は見たことも聞いたことも、触れたこともなかったから、一護は言外に驚いた。
 いつも余裕ある態度で自分の幼稚な言動を軽く受け流す彼が、抑え込めない感情を持て余しているのが少し面白いと、場違いに感じる。
 
 「てめえが死神の力を失うことが何を意味するかなんて、知った時にすぐ分かったさ」
 
 死神の力、もとい霊力を失うということは、即ち死神を感知出来なくなること、更には身体が死を迎えるまで此方に足を踏み入れることも無くなるということ。
 己との逢瀬がひとたびの終焉を迎えるということ。
 
 「技局の鬼にだってなあ、人並みの感傷はあるんだ」
 
 愛しい人と会えなくなる数十年を惜しく思わない奴が何処に居ると思う?
 確かに、俺達死神にとっての数十年、数百年は人間のそれと随分ずれた時間間隔を以て過ぎて行くけれど、それでも辛いものは辛い、のだろう。
 
 「俺はこれまで色恋なんてもんは全く縁が無かったからな。
 お前と何十年離れることがどういうことなのか、そこに心の移りはあるのか、そんなこと全ッ然分からねえから何とも言えねえけど」
 
 その事実に思い至った瞬間、つきりと身体の奥底で鋭い痛みが走ったのは事実だから。
 きっとお前にこの先暫く会えなくなることが、想像以上の苦痛を生むのだろうと、阿近の愚鈍な感情は告げる。
 
 「どうせ次会った時は情けねえ姿を見せることになるんだ」
 
 漠とした心を隠してお前が元いた場所へ戻る背を見送ろうと決めたのに、お前はそんな俺をいともたやすく打ち崩す。
 揺れる声で紡がれる言葉に酷く胸が痛んで、一護はぎゅっと彼の身体を抱きしめた。
 
 隔たる数十年が双方にもたらすであろう変化は計り知れない。
 
 「まあ、霊力が無くても俺の手伝い位は出来んだろ」
 
 お前が死んでこっちに来たら、流魂街まで迎えに行ってやる。
 嫌がるお前を無理にでも引きずって、俺の助手にしてやるから、
 
 「それまで、お前は自分の人としての生を悔いなく全うすれば良い」
 「…………」
 「何、たかが何十年。待っててやるさ」
 「…………阿近、さん」
 「それに、お前が俺を感知出来ないようになったところで、俺にもお前が見えなくなる訳じゃないんだからな。精々現世で馬鹿やらねえように見張っててやるさ」
 
 虚に襲われそうになったら研究放り出してでも助けに行ってやる、だから。
 
 「自分の選択を恨むな。悔いるな。俺を残して現世に帰ることを厭うな」
 
 直観に、感情に真直ぐなお前が好きだから。どうかそんな悲しい目をしないで。
 褐色の瞳は必要以上に濡れている。
 己の様子に一護が全く同じ心象を抱いたことなんて知る由もない阿近は、橙頭に静かに手を置いて言った。
 
 「…………ごめん」
 「だから謝るなっつってんだろ…………ま、悪く思うならこの先精々、俺と過ごした時間を大事にして、忘れねえでいることだな」
 
 人がこの尸魂界に来て見せる姿は、死した時のそれではなくて、生きていた時一番"生"を感じていたときのもの。魂魄に一番強く刻まれた記憶の姿だから。
 願わくば、己と過ごした僅かな時間を上回る有意義な時間が、この先の彼に訪れぬことを。
 全力で生を全うしろ、なんて言う割にこの想いは酷く矛盾しているものだけれど、そんな身勝手な望みを抱かずには居られなかった。
 
 「ったく…………俺は未だ何十年もあんたと離れて現世に暮らさなきゃいけねえのに、酷なこと言うよな」
 
 けど、そんなあんたが俺も好きだ。
 
 貴方が愛しいと思ってくれたこの姿で、また貴方に相見えたいと思うから。
 例えこの胸が張り裂けようと、悲しみに脳髄が打ち震えようと、決してこの想いを薄れさせはしないと誓う。
 
 「待ってろよ、阿近さん。次会うときは絶対泣かせてやるからな」
 
 俺だけこんなに涙を流しているなんて、不公平だ。
 頬に光の筋を刻みながら器用に口を尖らせる様子に、阿近は心からの微苦笑を洩らした。



 長く、なりました。
 取り合えず、藍染打倒のくだりから若返るまでを妄想。
 浦原さんが「藍染は瀞霊廷に運ばれました〜」と言った下りを呼んでから最早磔架を取りに来たのは阿近さんという妄想が確定事項になりつつあります。笑
 尸魂界で魂魄が取る姿とか、藍染が一護の霊圧を近く出来なかった理由とか、完全に私的設定です。勿論。
 流魂街出身の死神は記憶が無い、という設定が第一弾映画で描かれたようですが、死神の力も霊力も無くしたんなら記憶を失くさず尸魂界に来ることが出来るのかな、なんて。
 まあ、代行消失編を読んでいない今だから書けるストーリーかなあとも思えます(2011年2月16日現在)
 アニメ放映が丁度藍染打倒編終末辺りのようなので、併せて読んで頂けましたら。
 しかし書いてて思ったのだけれど、私って以外に浦原さん好きなのかしら。