幕開けは唐突に

 いつも通り。
 そう、今日もいつものように、総隊長の所に顔を出して、皆に挨拶をして、技局の彼の室へ向かう。
 筈だったのだが。
 
 (…………なんでこんなことになってんだ)
 
 呟いてみても、喉頭が紡ぐのは空しい鳴き声だけ。
 腕の下に跳ねる桃色の髪が悪魔のそれに見えて、一護は再度溜息をついた。
 
 
 *
 
 
 一番隊舎を出た途端、視界がブラックアウトした。
 
 「?!」
 
 何が何かも分からぬうちに布(きっと何らかの薬品が含まされていたに違いない)を鼻孔に宛がわれ、意識がふっと遠くなる。
 ほんの僅かな失神の後目を覚ますと、既に視界は随分と下の方に置かれていた。
 
 これは何かが起きたに違いない。
 周りが大きくなったのか、自分が小さくなったのかは分からないけれど、兎角何かがあったのだ。
 ひとまず状況を整理しようと努め始めたその時、既に悲劇は始まっていたのである。
 
 「夜一様?!」
 
 覚えのある霊圧が全速力で近づいてきたのを感じ取り、振り向こうとするとこれでもかというくらい強い力で尻尾を掴まれる。
 
 「ぎにゃっ」
 
 思わず漏れた悲鳴と同時に、痛覚を感じたその場所に違和感を覚えた。
 
 (…………尻尾?!)
 
 慌てて顧みると、そこにはしなやかな黒いものが一筋。
 
 「夜一様…………では、ないな。貴様」
 
 どうやら自分を夜一と勘違いしたらしい二番隊隊長は、はっしと掴んだ尻尾をあっさりと離し、侮蔑をこめた視線を投げつける。
 
 「貴様のような薄汚れた野良猫を夜一様と見間違える私では無い。全く、紛らわしい格好をするな」
 (確実に間違えてたよな?!最初?!)
 
 あまりに理不尽なその科白に絶句しつつ、夜一さんもまあ毎度毎度大変なんだろうなあ。愛も重すぎるのは駄目だななんて思いながら閉じた第一幕。
 掴まれた尻尾が未だ痺れているような気がしつつも、磨き抜かれた床板に映る自分の姿を見て再度絶句する。
 
 (…………猫、になっちまったのか、俺?!)
 
 そこに映っていたのは紛れもない一匹の黒猫。
 ぴんと立った三角の耳も、流れる細い尻尾も、頬から飛び出る髭も尖った鼻も、猫のそれに違いない。
 足を持ち上げてみると、肉球もちゃんとついていた。
 
 (…………何で猫)
 
 原因を究明すべく必死で思考を始めた所で、第二幕が上がった。
 
 「おんやあ、黒猫ちゃんじゃないかい」
 「珍しいな。一番隊で飼ってるのか?」
 「首輪が付いてるし…………誰かの飼い猫だろうねえ」
 
 ひょいと脇に手を入れ持ち上げられたかと思えば、目の前にどアップの浮竹が姿を現した。
 
 (近い近い近い近い!!)
 
 鼻と鼻がくっつきそうな距離に浮竹の顔がある。
 しかしおろしてくれと叫んだところで、零れるのは猫の鳴き声だけ。
 にゃあにゃあと頻りに鳴く猫に、よしよしお腹が減ってるんだな、なんて言って饅頭を差し出すその姿はとてもじゃないが護挺十三隊の隊長には見えない。
 
 「この猫、此処で飼ってるのかい?」
 「はて、然様な者は見かけたことも御座いませんが…………」
 
 山本に付き従い室に姿を現した雀部に京楽が問うが、相手は困惑した顔を見せるばかりだ。
 余りにやたらと隊長達の姿が目に入るので辺りを見渡すと。
 
 (おおう?!)
 
 身体のサイズが縮んだことで、只でさえ低い霊圧感知能力がさらに引き下がっているのだろうか。
 気付かぬうちに護挺十三隊全ての隊長が顔をそろえていた。
 
 (つーか何でこいつら俺だって気付かねえんだよ?!)
 
 幾ら霊力が小さくなっているとはいえ、隊長格の霊圧感知の能力を持ってすれば自分の正体なんて簡単に見抜けて然るべきではないのだろうか。
 …………大丈夫なのか、こんな隊長で。
 
 「それにしてもどうするかなあ、こいつ」
 「被験体用にならうちで引き取ってやっても良いヨ」
 「…………ひとまず、清音ちゃんと仙太郎くんに預けておいたらどうだい?どうせ呼べばすぐに来る距離にいるんだろう?」
 「…………そうだな。真坂猫を抱いたまま隊首会に臨む訳にもいかないし」
 「ねえねえうっきー!それ、あたしがうっきーの隊の人たちに届けて来てあげよっか?!」
 
 ぴょこんと剣八の肩から顔を覗かせたのは、勿論やちる。
 
 「そうか?それは助かるなあ」
 「うんっ、そんなのお安い御用だよ!!」
 
 にぱっと笑うその顔に邪気は無い。しかしその笑みが深まるのと反比例に、一護の顔からは色というものが失われて行った。
 
 (じ、冗談じゃねえ…………!)
 
 やちるの良く言えば天真爛漫ぶりは、尸魂界に足を運ぶようになってから未だ間もない一護としても身を持って体感している。
 ろくに抵抗も主張も出来ないこの身体がやちるの手に渡ったが最後、玩具にされてぼろぼろになるに違いない。
 下手をすれば命までもが危うい。
 
 浮竹の手からやちるに身体が委ねられようとする瞬間、思い切り身を捩ってその手の内から逃れることに成功した。
 
 「あ!にゃんにゃん!」
 
 紅葉のような、しかしそれでいて強靭な握力を有する手から命からがら逃げ出し、取り合えず目の前にあった羽織の中に逃げ込む。
 
 「びゃっくんびゃっくん!にゃんにゃん渡してよー!」
 「…………」
 
 あろうことか頭から突っ込んだ羽織の主は白哉だった。
 徐に襟首を掴み上げ、正面から顔を合わせる。
 先程浮竹が作った距離程近くは無いが、その感情を移さない黒い瞳と真正面から向かい合っているだけで、言い様のないプレッシャーが一護を襲う。
 
 (こ、怖え)
 
 改めて、恋次に同情の念を投げた。
 何を考えているのか分からないこんな奴と二人で仕事をするなんて、一護には到底出来そうもない。
 
 暫くそうしていて、白哉はふと何かに気付いた素振りをしたが、そのままやちるへ自分の身体を放り渡してしまった。
 
 「わあい!ありがと、びゃっくん!」
 「…………礼には及ばぬ。兄の好きにすれば良い」
 「おい草鹿、あんまり無茶苦茶すんじゃねえぞ」
 「シロちゃんも皆に追いつこうって頑張って背伸びしなくて良いからね!」
 「てめえ…………!」
 
 手放し際にちらりと白哉が此方を見たような気がしたが、それよりも最後の頼みの綱であった冬獅郎にもあっさりと見はなされてしまったショックで、一護は最早それどころではない。
 為す術もなく頭上で揺られ一番隊舎を後にすることとなった。
 
 
 *
 
 
 「ふふふ、うっきーの所行く前に、あたしと遊ぼうね!にゃんにゃん!」
 
 此処で話は冒頭に遡る。
 勿論、浮竹の部下の所へ自分を連れて行く、なんていうのは単なる口実で。
 瀞霊廷内で野良犬や野良猫といった類の動物が街中を闊歩している所なんて一護は見たこともない。
 だからきっと実際のところは、珍しい生き物で遊んでみたいという好奇心がその軽そうな脳内で渦巻いていたのに違いない。
 
 びゅんびゅんと、その見目からは想像もつかない脚力が生む移動速度に一護は目を回しそうになった。
 かろうじて過ぎゆく建物、街並みから向かう先は十一番隊周辺であることが伺えるが、それが分かった所で今の自分に取り得る手段は無い。
 あがいてその手から逃れることが出来たとしても、この状況下でその行為は高速道路を走るトラックの荷台からダイブするに等しい自殺行為である。
 走行を止めようと手に咬みついたりすれば最後、振り払われて二度と日の目を見ることの出来ぬ身体になってしまうかもしれない。
 
 ひとまず十一番隊舎に辿り着いてから、先を考えよう。
 何、手足の二、三本程機能不全になってしまうかもしれないが、最悪井上に頼めば何とかしてくれるだろう。
 
 待ち受ける先の未来を真っ暗な思考で受け止めようとした時、ふいにそのスピードが減速したことに気付いた。
 
 「あっれえ、珍しいねえ。あっくんがこんな所にいるなんて!」
 「更木隊長に頼まれてた物が出来上がりましてね。丁度届けて来た所ですよ」
 「ふーん」
 (阿近さん!)
 
 やちるの目の前に立ちはだかっていた人物は、まぎれもなく阿近その人だった。
 あっくん、なんて柄でもないその狂相を、一護が見間違える筈もない。
 
 (阿近さん、阿近さん助けて!!)
 
 必死に助けを求めようと試みるが、やはり零れるのはにゃあにゃあという猫の鳴き声のみ。
 しかしどうにかその気を引くことには成功したようで、阿近が胡乱気な目を此方に向けるのを確かに感じた。
 
 「草鹿副隊長…………そいつは?」
 「あ、これー?!さっきねえ、うっきーに貰ったの!」
 (いやいやいやいや貰ったんじゃねえ、届けるよう頼まれたんだろうが!!)
 
 あっけらかんと言い放つやちるに内心で凄絶なツッコミを入れるが、勿論相手に届く筈もない。
 
 「…………それ、どうするんです?」
 「これー?つるりんとちかちゃんのとこ持って行って、一緒に遊ぶの!」
 「そうですか…………」
 
 訝しげに向けた視線を外さず、しばし考えた後阿近はぽつりと呟いた。
 
 「これ、俺に譲ってもらえませんか」
 「ええー!あっくん、にゃんにゃんどうするの?」
 「何、ちょっと実験台になって貰おうと思いましてね」
 「やだあ、にゃんにゃんはあたしと遊ぶんだよー?」
 「また後日改めて御礼に伺いますから」
 「うー…………」
 「それより、先程斑目三席が金平糖持って副隊長のこと探しておられましたよ」
 「こんぺいと!」
 
 渋っていたその目にきらりと光が宿る。
 
 「いいよ、じゃあこれはあっくんにあげる!」
 「有難うございます」
 「そんかわり、今度また剣ちゃんと遊んであげてね」
 「…………善処します」
 
 
 にこにこと手を振りながら、ずいと黒猫を押しつけてやちるはその場を後にする。
 だん、という地を蹴る音が砂埃を巻き上げた。



 白哉は確信犯。きっと一護だって気付いてる。
 一角は犠牲になりました。笑