星屑の詩

 「やっぱそもそも空の色が違うよな」
 「現世に比べりゃ、空気が綺麗だからな。二酸化炭素濃度も未だ0.01パーセント超えねえし」
 「マジ?」
 「現世と大違いだろ」
 「そーなんだよ。俺が小学校の時は0.03パーセントって習ったのに、こないだ遊子の教科書見たら0.04パーセントになっててさ」
 「そのうち二桁行くんじゃねえか?」
 「それは流石に生きていけねえだろ」
 「だったらこっちで暮らしゃ良い」
 「…………あんたなあ」
 
 深い蒼は止め処なく澄んでいる。
 紫紺の空にはきらきらと細やかな光が所狭しと鏤められていて、細い月が心地悪そうに身を縮籠めていた。俗に言うアマノガワも、良く見える。
 
 「現世の七夕は何故か雨ばっかりなんだよなあ」
 「梅雨明け前は雲の立ち方が尋常じゃねえからな。仕方無えだろう」
 「南に住みたい」
 「梅雨が明けても台風と言う脅威が蔓延している」
 「それもそうか」
 
 人工照明の無い辺りは必然的に暗く、頼りは恒星を跳ね返し輝く惑星と屑の光だけだ。
 池の水面に映ったところで明るさが増されることも無く、しかしそれでいて慎ましやかな明度は地上に降り立つまでに力を振り絞ることもなく無事見通すに差し支えの無い程度の熱を運んでくれる。
 
 「願い事はしたのか」
 「阿近さんは」
 「言わねえ」
 「『局長に分別と常識を持たせる』」
 「…………何で知ってる」
 「堂々と飾ってあったじゃねえか」
 
 七月七日。
 一番隊から十三番隊まで各隊舎の前にはそれはもう立派な笹が掲げられていて、隊長から末端の隊員までがありとあらゆる願いを枝葉に吊り下げていた。
 技局は瀞霊廷の主要機構が寄せ集められた中央街の端くれに位置する。
 一番隊で報告を済ませてから此処へ辿り着くまで、必然的に全ての隊舎前を通り抜けることとなる一護は色とりどりの短冊をひらりひらりと目に収めて来た。
 
 『除災招福』
 『恋愛成就』
 『無病息災』
 『良縁達成』
 『家内安全』
 
 なんて在り来たりなものから、
 
 『給料上げて』
 『自由を下さい』
 『俺ばっかり注意するのやめて欲しい』
 『先輩が優しくなりますように』
 『仕事減らして』
 
 死神稼業なんて特殊な身の上でも、思うことは現世人と同じなのかとしみじみ空しく思うもの。
 果ては
 
 『副隊長が仕事しますように』
 『僕に更なる美しさを』
 『隊長が黒猫に飽きてくれますように』
 『後輩から慕われたい』
 『背が縮みますように』
 
 無記名空しく、誰の願いか一目瞭然な代物もちらほらと目についた。
 それは技局前に吊るされていたものにおいても同然で、ベタな願いからコアな思いまで、所在無さげに揺れる笹に課せられた使命は些か重すぎるような気もする。
 
 尸魂界において、使われる筆記具は筆が主流だ。
 最近では電子機械も用いられているようで、技局の解析データ等は現世よろしく全て統制されたフォントとチャートで構成されている。
 しかし通常の書類業務にインキが用いられるのは未だ未だ先らしく、どの執務室の文机にも硯と筆が主張しているのが現状。
 
 必然、短冊も只書かれ吊るされるだけでそれなりの情趣を醸す。
 大味、流麗、癖字。個性は様々だが、阿近のそれは一言で言うなら達筆そのものだった。
 気だるげに報告書を埋めている時初めて目にしてから、その筆跡はまるで彼のそのものを表すようで記憶から薄れることは無かった。
 
 流れるように紙面を滑って行く、その道筋は吹かれる柳の如く。
 しかしそれで居て決して逸れる事も唆されることも無く、一つの確たる筋に沿って文字を紡ぐのだ。
 
 夥しく棚引く短冊の群れに有っても、その没個性であるようでしかし主張を放つ文字を見つけるのは簡単だった。
 そこに書かれていたのは決して目を見張るほどに可笑しなものでは無かったが、変人と名高い彼も一人の人であることを裏付けているようで知れず一護は苦笑を洩らしたのだ。
 
 「阿近さんも人なんだなって思ってさ」
 「何だそりゃ」
 「はは」
 
 思い出し笑うかのように眉間へ皺を寄せる一護に阿近は拗ねるような顔をする。
 まあ、必死の願いが一笑に飛ばされたのでは当人が面白くないのも無理はないだろう。
 
 「お前は」
 「え?」
 「願いは、何か無いのか」
 「あー…………そうだな…………」
 
 最後に七夕飾りを作ったのは何時だろう――――普通の高校生ならそう呟いても可笑しくはないだろうが、生憎黒崎家は普通ではない。
 何処から掻っ攫って来るのか、毎年毎年親父が担いで来る笹の豪勢さは御近所でちょっとした名物になっている程だ。
 今年も例に漏れず玄関前に掲げられた大きな枝には、妹たちをはじめ診療所にやって来る人々の願いが鈴なりになっていた。
 勿論一護も青い紙片を吊るしたが、何せ毎年の事なので珍しくも無い行事だ。
 一々書いた内容を覚えている筈も無い。
 夏梨の気紛れに付き合わされて、四苦八苦して折り紙を駆使し飾りを作った事は未だ記憶に新しいが。
 
 「ずっと阿近さんと一緒にいられますように」
 「…………」
 「何て言ったら気持ち悪いだろ」
 「トリハダが立った」
 「てめえ」
 
 ひくりと口の端を持ち上げる真似をすれば、阿近はにやりと反対側の端を引き攣らせる。
 こうした他愛の無い日常がいつまでも続くことこそ何にも代えがたい祈りであると、彼は気付いているのだろうか。
 現世と尸魂界の狭間に生きる自分に、何時までこの曖昧な距離は許されるのか――――
 
 「まあ難しい事考えんなよ」
 「考えてねえし」
 「取り合えず、そうだな」
 
 懐から硯箱と懐紙を取り出して、阿近は深緋の瞳に真摯な色を浮かべて言った。
 
 「『阿近さん大好き』」
 「トリハダ通り越して寒気がしてきた。風邪引いたかも」
 「何だ、素直に温めて欲しいと言えば良いだろ」
 「だああ、くっつくんじゃねえよ暑苦しい」
 「天邪鬼め」
 「ていうかそれ願いでも何でもねえじゃねえか」



 阿近さんは達筆。
 短冊の主はゴソウゾウニオマカセシマス。笑