銀鎖に繋ぐ熱
「一護さーん!」
ぱたぱたと草履が駆ける音を聞き一護が背後を振り返ると、そこには満面の笑みをしたリンの姿があった。
「…………何処から持って来たんだ、ソレ」
「えへへ、実はですねー」
両手一杯のホールケーキを携えて嬉しそうに、しかし危なっかし気に走り寄る彼に何か嫌な予感を覚えて一護が眉根に皺を寄せると同時に、
「うわっ」
「うおおおお?!」
お約束と言うか何と言うか、つるん、と何も無い所で躓いてリンが地面と熱烈なキスをした。
そしてその手にあったケーキは美しい放物線を描き、まさに今一護の眼前に迫っていて。
「っぶねえだろ!リン!」
「わああん、すみません一護さーん!」
顔面生クリームの刑は御免被りたい。
ここが意地の見せどころと、なんとか空中分解を起こす前にケーキを捉えたは良いものの、一護の手はしとやかに動物性蛋白の洗礼を受けてしまった。
「何処で買って来たんだ、こんなもん」
「朝から皆で作ったんですよー!」
鈴を転がすような声が聞こえて空を仰ぎ見ると、上の回廊から眼鏡のおさげがにこにこと微笑んでいる姿が見えた。
「黒崎さん今日お誕生日でしょう?皆でお祝いしようってリンが言い始めて」
「いっ、言っちゃ駄目じゃないですか!おめでとうの言葉は皆で揃って言おうって約束してたのにー!」
「あれ、そうだっけ?」
「あいつに人並みの協調性を求めようっつー時点で間違ってるぞ、リン」
あっけらかんとしらばくれるおさげにリンがほとほとと涙を流していると、隣から鵯州が呆れ顔を挟む。
「と言う訳で、俺からもハッピーバースデーだ、黒崎」
「何だ、これ」
手渡された薄い紙きれを訝しげにみると、凡そ人類とは思い難い容貌から一杯の祝福ムードを醸しながら鵯州は言った。
「健康診断一回無料券」
「誰が来るか!」
おどろおどろしい文字で"技術開発力presents 検体診断 貴方の身体、骨の髄まで見通します"なんて謳い文句が書かれた紙切れを一護は容赦なく床へ叩きつける。
診察台に乗せられたが最後、その大義名分の下何処を切り取られ何を貼り付けられるか分かった物じゃない。
診察と言う名の解剖、否、人体実験と言う言葉が相応しいだろう…………半券には"健康"なんて言葉、ひとつも書かれていないのだから。
「つーか、それじゃあこのケーキ…………此処で作ったのか?」
「そうですよう」
「…………何も入ってねえだろうな」
「それは大丈夫よお。だってリンったら、私を絶対に給湯室に入れてくれなかったもの」
「…………それは暗に、あんた自身は入れる気満々だったってことの自己申告と捉えて良いんだな?」
「50点。"だった"んじゃなくて"である"の間違いねえ。現在進行形だから」
気怠い色気を放ちながらのんびりとした口調で紡がれる言葉の内容は、お世辞にも平和的とは言えない。
その手に何やら怪しげな色をした試験官が握られているのを見て、じりじりと後退する一護に采絵はからからと笑った。
「おら、てめえら何遊んでやがる」
ぼすりと背後から後頭部を鷲掴みにされて、背を丸める窮屈な体勢を強いられた。
「あ、阿近さん」
「黒崎、てめえまた性懲りも無くのこのこと来やがったな…………うちの邪魔をするなと、いつも言ってるだろう」
「は、はは…………」
「あらあ、阿近じゃない。山積みの仕事は終わったのお?」
「生憎全く片付いちゃいねえな。纏めるべきデータが一向に上がって来やしねえのに、何をどうして終わらせりゃあ良いのか、好い加減教えて貰いたいもんだな?」
ぎろり、と眉の無い凶眼が室内を睨め付けると、喧騒に興じていた下っ端の局員たちは蜘蛛の子を散らす様に持ち場へ戻って行く。
「おい、お前らもだぞ」
鵯州の影に隠れて成り行きを見守っていたリンと采絵、おさげ(いつの間に降りて来たんだ?!)にもぴしゃりと言い付けて、阿近は踵を返した。
「ったく…………どいつもこいつも」
「大変だな、副局長殿」
「勤務時間くらい真面目に仕事しやがれってんだ。納期が遅れりゃ責任は全部俺が被らなきゃいけねえのによ…………ああ、鵯州。悪いがこの間の研究データ、まとめて俺の室へ送っておいてくれ」
「隊長が作った疑似魂魄の奴か?」
「そうだ。如何にも身体の方に不備があったらしい。他所から苦情が来てな、対応しなきゃならねえ」
「分かった。至急送っておく」
「すまねえな。手隙の時で構わねえから」
「お前が居なきゃ回らん技局だ。手伝いくらい安い」
ぽんぽんと飛び交う仕事絡みの会話に愈々疎外感を覚えた一護がそろりとその場から抜けだそうとすると、はっしと襟首を掴まれる。
「おい、何処へ行く」
「え…………っと、やちるの奴にケーキでも届けてこようかなあ、と…………」
「馬鹿野郎、散々掻き回しておきながら今更逃げるなんてのは許さねえぞ。荒らした分てめえもしっかり働いて行きやがれ」
「お、俺何もしてねえぞ?!」
「てめえが来たからうちの局員が仕事を放棄したんだろうが」
暴論である。
不条理を具現化したような傍若無人ぶりを発揮する技局の鬼に一護はずるずると引き摺られながら回廊を進んだ。
その痩身の何処にこれ程の力があるのか、技術開発局七不思議のひとつだ。無論、不思議の数は七つには留まらない。
「おら、そこ座れ」
意外に優しい手つきで襟首から放された手が検体台を示す。
一護が時折こうして技局を訪れる度、目の前の男は少し嫌そうな顔をする。
それを宥めすかす様にして他愛も無い会話を重ねるのがそうした時の日常だ。
時にはこうして検体台に腰掛け、採血に薬物投与にと、その実験に協力を貸すこともある。
未だ生命の危機を感じるような状況に陥ったことは無いので、周囲にそれとなく、或いは直接的にこの訪問を止められた所で別段気にしてはいなかった。
「何。今日は何されんの?俺」
「新器具の使い心地を試して貰おうと思ってたんだが、今日は無しだ」
「え?」
気の無い声で告げられ少し驚く一護に皮肉気な笑みを浮かべて、阿近は机の抽斗をがさがさと漁りながら言った。
「どうしてもっと早く言わなかったんだ」
「…………何を?」
「誕生日」
「!なんで…………」
「何で、って、昨日からあれだけ祭騒ぎを起こされて、局内に甘ったるい匂いを漂わせられりゃあ、不思議に思って訊かない方がおかしいだろう」
「そりゃ、そうだけど…………」
「ったく、もっと早くに言ってくれりゃちっとはマシな物も用意できたのによ」
目的のものを探し終えたのか、抽斗をぱたりと閉じた阿近がすたすたと此方に近づく。
今しがた聞いた彼の科白の意味が全く理解できなくて思考回路に陥った一護の左手が、冷たい手に取り上げられた。
「今年はこれで我慢しろよ」
「何…………これ」
「お前、前に言ってただろ。霊圧を抑えるのが下手だから苦労してるって。更木みてえな霊力抑制具が欲しい、って」
「覚えてて、くれたのか?」
「俺がお前の言葉を忘れると思うのか?」
すとん、と落とされた手には、細いシルバーの鎖が掛かっていた。
何の変哲もない簡素なデザインのそれは一護の細い手首によく映えて、只のアクセサリでないとはいえ他人から始めて貰った装飾具に送るべき言葉すら失って、暫し沈黙を守る。
「…………黒崎。お前、今日何か変だぞ」
「…………阿近さんが柄にも無いことばっか言って、らしくないことばっかするからだろ」
「人のせいにするのか。全く、これだから今日日の子供は嫌なんだ」
「どっ、どの口が!」
「はいはい。誕生日おめでとう、黒崎」
さらりと零された祝いの言葉に今度こそぴきりとなって固まった一護に、仕様が無いと言わんばかりの不器用な笑みを作る。
そのままケーキの洗礼を受けた指を取り上げて一舐めすると、生来甘味を受け付けない舌がつきりと痛んで、阿近は少し柳眉を下げた。
「…………甘い」
「…………は」
「ああ?」
「あんたは一体何がしたいんだ…………!」
「そうだな、取り敢えず」
キスがしたい。
にやりと人の悪い笑みを浮かべながら耳元で落とされた科白に、とうとう真っ赤になった一護は膝を抱えて蹲った。
「もう…………ほんと、何なんだよあんた…………」
「何って、お前の恋人だろう」
「…………そうですね…………」
事もなげに言うその厚顔振りが憎らしくて、愛おしくて。
頬を掬う滑らかな指の感触が余計に熱を煽る様で、目の前が真っ白になった。