暑中、涼を鎖して。

 開け放した窓から澄みきった空を仰いで、一護は胸一杯の気怠い吐息を吐きだした。
 
 「あっ……ぢぃ……」
 「暑い暑いと何とかのひとつおぼえみたいに繰り返しやがって。てめえは馬鹿か」
 「阿近さん、最後の一言いらない。例えでぼかした意味が無い」
 「…………言葉のあやだ」
 
 阿近が汗を流しているところなどついぞ拝んだことが無かったが、流石の彼も人の子ではあったらしい。
 平素血色の悪い肌は気温のせいでほんのりと健康的を取り戻していて、短髪の裾には透明な雫が下がっている。
 
 「にしても……扇風機一台回らねえってどういうことだよ……」
 「仕方ねえだろ、機械を止める訳にはいかねえんだ。そうでなくとも少ない電力、ウチに回して貰えてるだけでも有難い話だ」
 「阿近さんから『有難う』なんて言葉が出る日が来るなんて……ほんと、人のこと言えねえけど、ノーミソ蕩けてんじゃねえの」
 「……てめえの暑っ苦しい髪の色見てたら蕩けもするっつうの」
 
 過日、尸魂界を襲った大きな嵐が瀞霊廷を直撃してからと言うもの、隊舎の電力基盤が揃いも揃って参ってしまったらしい。
 現在急ぎ復旧中らしいが、完全回復にはもう少しかかるようだ。
 自家発電機能はかろうじて生きていたものの、発電できる量は決して多くは無い。
 四番隊の救護舎と技局の機械にそうした貴重な電力が回されている今、続く猛暑を凌ぐための味方は薄っぺらい団扇が一枚と、げんなりした顔の阿近に説明された。
 
 「おい一護」
 「何だよ」
 「日番谷隊長に氷貰って来い」
 「…………」
 
 一瞬、良いアイデアかも、等と思ってしまったことに対し胸中で全身全霊、冬獅郎に謝罪を贈る。
 総隊長への挨拶帰り、ひょこりと顔を出した十番隊の執務室で、酷く苛ついた小さな背中を見掛けたことが脳裏に蘇ったからだ。
 暑さゆえ、胸元の肌蹴を二割三割増しにした色香も凄まじい副隊長曰く、道行く度に氷氷と呼びかけられ、いい加減うんざりしているらしい。
 やちるなど、一度そのしつこさに負けて氷を出してやった所、前にも増してその要求態度は激しくなり、今や彼女の霊圧を感じる度に彼の背中はびきりと強張るそうだ。
 
 「流石に今のあいつにそれを頼むのは酷だ……」
 「はあ?」
 「あいつそろそろハゲんじゃねえかな……」
 
 瀞霊廷に常駐している訳でもないのでその実態は知らないが、少なくとも一護が顔を合わせる時はいつも疲れた様子の冬獅郎だ。
 人のことは言えないが、年端に寄らず深い眉間の皺を心配し始めたのは今になってのことでもない。
 
 「あー、にしてもほんと暑いな……取り敢えずあれだ、死魄装は来年度から白にしてもらうよう山本のじーさんに頼んでみよ……」
 「威厳ねえなァ」
 「暑さには代えられねえだろ」
 
 暑い、懲りずに一護がそう呟くと、阿近は暫くかりかりと筆を進めた後、思い出したように言った。
 
 「一護」
 「あー?」
 「そこの冷蔵庫……冷凍室に入ってる試験管出してみろ」
 「なっ、冷蔵庫の電源は入ってんのかよ?!」
 「当り前だろう、サンプルが腐る」
 「うわー騙されたー……てっきりこいつも見かけ倒しだと……」
 「ちなみにお前がそこまで暑がってるのは、おそらく電源の入った冷蔵庫の隣に寝転んでるせいだな」
 「早く言えよ!」
 
 中はひんやり、そとはほかほかが冷蔵庫である。
 言われてみれば熱を発しているその四角い電化製品にじとりとした目を向けてから、一護は言われたように冷凍室の扉を開けた。
 
 「また変なもん凍らしてんじゃねえだろうな」
 「見りゃ分かる」
 「んー……あ、これか?」
 
 何本かの試験管を、試験管立てごと取りだすと、陽光を受けてガラスがきらきらと煌めいた。
 
 「……アイスキャンデー?」
 「リンがな、今朝持って来た奴だ」
 「綺麗だな……」
 
 透明の試験管には木の棒が無造作に一本ずつ突っ込まれ、硝子の中には大小様々にカッティングされた果物が入れられている。
 イチゴにミカン、キウイ、ブドウ、オレンジ色は黄桃だろうか。
 
 「食べて良いのか?」
 「さあな」
 「って」
 「『ここの冷蔵庫が一番安全なんです!入れさせてください!!』って言われただけで、食っていいとも駄目だとも言われてねえ」
 「……順当に考えるなら、それ一番食べちゃ駄目なヤツじゃねえ?」
 「食いたいなら食えば良い。多分、お前ならあいつも怒らねえ」
 「……そう、かな」
 
 じわりじわりと溶け始めた魅惑の涼が、道徳心との間に激しい戦闘を巻き起こす。
 
 「うーん、でもな……」
 「あー、ごちゃごちゃうるせえ奴だな。そら」
 「むぐ」
 
 突如顎を持ち上げられたかと思うと、半端に開いた口に否応なしにキャンデーが突っ込まれる。
 舌先に触れたところがすぐに溶け、冷たいリンゴが口内に滴る。
 
 「リンゴジュースで凍らしてんのか……って、阿近さん!」
 「まだ喚くか。キスすんぞ」
 「っ」
 「ほら、これで同罪だ」
 
 そう言うと自分も一本、試験管から氷を引き抜いて口元に運ぶ。
 
 「あー、夏は冷たいもんに限るな。冷酒飲みてえ」
 「知らねえからな、怒られても」
 「あいつに怒られたところで痛くもかゆくもねえからな」
 
 無造作に残りを冷凍室に投げ込んで、再びどかりと執務椅子に腰を下ろした阿近は、団扇を片手にキャンデーを噛み砕いた。
 
 「おら、早く食べねえと垂れてんぞ。床汚したらちゃんと舐めとけよ」
 「舐めるか!」
 
 とはいえ、手にした氷は既に酷い様相をしていて、閉じ込められたイチゴの欠片が今にも零れそうになっている。
 あわてて口元に運ぶと、リンゴの爽やかに重ねて仄かな甘みが広がった。
 
 「…………暑いな」
 
 窓際に吊るされた風鈴が、氷を思わせる音を響かせる。
 澄んだ音に微かな罪悪感を覚えながら、一護は幾分爽やかな気分で、涼を舌先に転がした。



happy birthday 15 2013.