Firstest/Fastest

 黄昏が街を覆い尽くし、一番星が東に輝き始める頃。

 「遅えぞ黒崎」

 阿近と自分は、所謂教師と生徒の関係にある。
 だがそれはあくまで学校の中での話であり、必ずしもそうではない。こうして休みの日、一緒に過ごす時間は例外。

 「まだ待ち合わせまで五分あるじゃねえか…………あんたが早いんだよ」

 一護の父親は個人で病院を経営する医師である。そして生前の母は、中学の教師をしていた。
 その教師仲間兼友人の息子が阿近である。

 小さい頃、母が友人とプライベートで顔を合わせる度一護も彼と顔を合わせていたものだ。
 何せ年が離れているので、顔を合わせると言っても実質的には面倒見の良いお兄さんに遊んでもらっていたという色が強いのだが、それに気付いたのは随分後のことである。
 母が亡くなってからというもの、彼と顔を合わせる機会も当然ぱたりと失われていた。
 存在が記憶に薄れた頃、何の因果か彼は再び一護の前に現れたのだった。それも、教師と言う役職を伴って。

 「別に、お前に会う為に此処へ赴任希望を出した訳じゃない」

 世に言うツンデレとか、そう言った雰囲気の色は全くなかった。
 きっと本当に偶然、配属先に過去見知った顔があった。それだけなのだろう。
 しかしそれでも久々の再開を果たした阿近は何処か嬉しそうで、当然一護とて同じ思いを感じない訳は無かった。
 空座第一高校は手に負えない不良の数で有名で(不本意ながら一護もそこに含まれている)新米教師が勤めるにはやや荷が重い。
 だが教師歴二年の阿近は、存外この学校に上手く馴染んでいるようだ。

 最初は化学室に入り浸って只管忙しい阿近に話しかけるだけだったのだが、いつの間にやらこういう関係に発展している。
 別に悪い気がする訳ではないし、寧ろ想いが通じ合った今は依然のように感情の起伏を持て余すことも無くなったから結果はオーライである。
 しかしやはり馴れ初めを語るのは恥ずかしいので、それはまた別の機会に。

 「もうちょい長引くかと思ったんだが、意外に早く職会が終わったんでな」

 晩飯の材料ももう買って来たと言い、通勤鞄に隠れた葱の飛び出る買い物袋を示す。
 何というか、非常に、似合わない。
 思いあぐねて手を差し出すと、これ幸いと手首にビニールが掛けられる。
 飲料が入っているせいか見目以上に重い袋をぶらぶらと揺らしながら、一護は長い影を追いかけた。


 *


 「阿近さんの料理なんて初めてだ」
 「ふん、まあ期待しないで待っとけ」
 
 試験頑張った褒美だ、とか言って、夕飯に招待されたのは結果掲示のあったその日。
 賭けに負けた一護はその後散々おもちゃにされた訳だが、頑張ったのは結局俺なのに俺は何もしてもらえ>ないのか、と、わざとらしく拗ねたように主張した一護に阿近が提案したのだった。
 勿論、心から不満をぶつけた訳ではない。ただ少し、されるがままの自分が悔しくて口を付いて出た言葉が、偶然阿近の琴線にふれただけ。
 それでも、夕飯への誘いを断る理由もなく。

 「何か手伝うことねえか?」
 「黙ってそこ座ってろ。狭い台所に男二人立った所で邪魔になるだけだ」

 そう言ってさくさくと野菜を千切りボウルに放り込んで行く姿は中々様になっていて、白衣が異常に似合うのもる去ることながら、エプロンの似合い振りが何だかひどく可笑しい。
 
 「…………人の顔見て笑うのは失礼だって、学校で先生に教わらなかったか?」
 「今教わったよ、センセ」
 「…………学外でその呼び方すんのは止めろっつっただろ」

 眉が無いせいで非常に読み取り難いその表情は、どうにも不快を示しているようである。
 一護に先生呼ばわりされるのはお気に召さないらしく、学外はおろか学内においても名前で呼ぶことを強要する。
 名の立つ不良で有名なオレンジ頭に若いかつ顔立ちの綺麗な新任教師。
 只でさえ互いの外貌は目を引くのだ。名前で呼ぶところを他人に見られたが最後、どんな憶測が飛び交うか知れない。
 
 「何で俺に先生呼ばわりされんの、そんなに嫌がんだよ?」
 「…………」

 暫く黙りこんで、決まりが悪そうに言う。

 「漸く口説き落としたんだ、今更先生なんて他人行儀な呼び方されたくねえ」

 以前目線は手元の湯立つ鍋に注がれている。心なしかいつもより血色の良い顔に、一護は眉間に皺をよせたまま器用に笑った。
 

 *


 テーブルに並ぶのは様々な葉野菜を織り交ぜたサラダに辛子明太子のスパゲティ。
 いつその記憶に刻ませたのかは覚えていないが、兎も角己の好物を目の前の人物はしかと覚えていたらしい。
 その他惣菜が犇くテーブルで、沢山の話をした。
 学校のこと、友人のこと、学生間での教師の評判、噂話、化学式の面倒さ。
 他愛もない話題に一つ一つ頷く仕草が嬉しくて、決して多弁では無い一護は話の種を見つけては次々と阿近にぶつけて行く。
 友人がその姿を見たら、あまりの朗らかさと纏う空気の柔らかさに絶句するだろう。
 己の前でだけさらされるその姿が愛おしい。高校卒業後の同棲予定を今から画策する阿近である。

 「そうだ」

 話が途切れ、机上の料理もあらかた片付く頃、阿近はがさがさとポケットを漁り、取り出したものをひょいと一護に投げてよこした。

 「…………何の鍵だよ、これ」
 「それを俺に言わせるか」

 なんの装飾品もぶら下がっていない、むき出しの鍵をしげしげと見つめていた一護は、漸くその使用用途に思い当たったのかがばりと頭を上げた。

 「もしかして、ここの合い鍵…………とか?」
 「それ以外に何がある」

 校門の鍵なんて渡しても意味ねえだろうが、と呟く阿近に、それしたらあんた犯罪者だからな、と切り返すのを忘れない。

 「でも、こんなの貰って良いのか?」
 「良いも何も、もうすぐ夏休みじゃねえか。学校来なくなったら会えねえだろ」

 暇になったらいつでも来い、と言ってくれるその態度はとても温かいけれど、本当に貰ってしまって良いのかとも思う。
 いつまでも所在なさげにしている一護を見かねて、あああと阿近は頭を掻きながら言った。

 「誕生日プレゼントだ。それなら問題ねえだろ」
 「え」

 ばっとカレンダーを顧みる。そう言えば明日は、

 「お前、自分の誕生日も覚えてなかったのか?」
 「…………返す言葉もございません」

 明日学校に登校すれば、嫌という程友人たちが騒ぎたててくれるに違いない。
 家に帰れば家族がケーキを用意して待っていてくれるのだろう。

 「本当は明日学校でやろうと思ってたんだが、気が変わった」

 学校でやっても、そこまで嬉しそうな顔見られないに決まってる。

 「早く卒業しちまえよ、先生呼ばわりはうんざりだ」
 「…………あんたのこと先生って呼び始めて未だ三ヶ月位しか経ってねえんだけど」



 教師と生徒、もなかなかスリルがあって良いけれど、やっぱり堂々と恋人になりたい。