a sweet pain

 最近、一護の様子がおかしい。
 昼の休みに弁当を持って化学準備室を訪れるのは変わらないのだが、その態度が何処かよそよそしいのだ。
 そして放課後になればさっさと下校してしまう。
 授業が終われば化準を訪れ、邪魔をしてはいけないからと早々に立ち去ろうとする一護を阿近が引き止めるのが常だったのに。
 ここ数日は止める間もなく、気付けばその橙頭は窓枠の遥か彼方――――グランドを横切り正門へと足を向けている。
 
 「黒崎」
 「な、何だ?」
 「今日の放課後、ちょいと手伝って貰いてえことがあるんだが――――」
 「ご、ごめんセンセ。俺今日はちょっと忙しくてさ…………」
 
 昼食時に問い詰めても頑として口を割ろうとしないその態度に自然苛つきが生じて、公衆の面前で呼びとめたこともある。
 だが、先生呼ばわりされた上にひらりと躱されてしまうのだから堪らない。
 
 加えて気に入らないことがもう一つ。
 やたらと、一護が黒髪の男子生徒と共にいる所を目撃するのである。
 それは廊下であったり、教室であったり、はたまた放課後であったり。
 学年もクラスも違う筈なのに何故か一護を視界の端に捉える度にその尖った黒髪も隅に覗いているのだ。
 一護の交友関係を完璧に把握している、とまでは言わないが、これまで彼らが一緒にいる所を見たことはあまり無い。
 
 何処か余所々々しい態度と、傍に在る見慣れない男の姿。
 不愉快極まりないが、阿近が一つの仮説を立てるに十分な材料がそこには揃っていた。
 
 
 *
 
 
 とうとう、一護の為に放課後に週一で開いていた化学の補講にも姿を見せなくなり、昼休みに化準を訪れることも無くなった。
 しかし補講の無断欠席という、校内放送で一護を呼び出す機会を得たのもまた事実で。
 躊躇いもなく翌日の小休憩に放送を用いた訳だが、どういう訳か一護はそれにも応じない。
 堪忍袋の緒を斬らせた阿近が堪りかねて放課後の下駄箱に待ち伏せると、案の定一護はいつもの男を伴って昇降口に現れた。
 
 「てめえ黒崎、教師の呼び出しに応じないとはどういう了見だ、ああ?」
 
 影に佇む阿近の姿を発見して一護がさっと顔色を失くすのと、恫喝するかのごとき狂相で阿近が一護に詰め寄るのは同時。
 
 「俺が呼びとめてもさっさと躱わす、補講にも来ねえ。挙句校内放送も無視しやがると来た。てめえ、一体何考えてやがる」
 「先生、それは――――」
 「うるせえ、俺は今黒崎に聞いている」
 
 氷の視線で黒髪を射すくめ、一護の手首を掴んだまま阿近は階上へと身を翻す。
 残された男子生徒が困ったような、呆けたような顔をしているのが酷く印象的だった。
 
 
 *
 
 
 「――――ッ」
 
 がん、と力任せに閉じた扉に背をぶつけた一護は、少し痛そうな声を上げる。
 
 「さあ、言い訳を聞こうか?黒崎一護」
 「…………先生には関係ねえ」
 「ほう、俺の補講をサボって『関係ねえ』と抜かすか。中々良い度胸してんじゃねえか」
 「…………」
 「おら、何とか言ったらどうだ」
 「…………言い訳なんか、ねえよ」
 「あ?」
 「全部俺が悪かった。あんたには迷惑かけたと思ってる…………言い訳なんかしねえ」
 「…………あのな黒崎、俺は今お前にそんなこと聞いてるんじゃねえんだよ」
 「え?」
 
 怒りを孕みながらも何処か希薄なその科白に、拍子抜けしたように一護は顔を上げる。
 久々に正面からぶつかる視線。深緋の双眸はいつもと変わらないけれど、少しだけ影が増したように見えた。
 
 「俺が聞いてんのは、そんなことじゃねえ」
 「…………じゃあ、何なんだよ」
 「別にお前が補講サボろうが昼来なくなろうが話を躱そうが。そりゃ勿論気に入らねえことだらけだが、そんなことはどうでも良い」
 「?」
 「…………嫌なら、嫌とはっきり言えば良いだろ」
 
 そう言う顔はやはりいつもの無表情だけれど、ほんの少し寂しそうに見える。
 
 「全部自分が悪い、なんて言い方して片付けようとするんじゃねえ。言いたいことがあるならはっきり言いやがれ」
 「先生?」
 「確かに俺は普通の奴とは違う。大分ずれてるし、偏屈だってことも自覚してる。お前が嫌になるのも無理はねえ」
 「ちょ、何言って――――」
 「あいつが良いならはっきりそう言えば良い!」
 
 がしゃん、と叩きつけられた拳に硝子が揺れる。
 頼むから。言外に拒絶するような真似はやめて、俺が嫌いになったならはっきりそう言ってくれ。
 そうすれば俺は真正面からお前のことを諦める。只の教師と生徒の関係に戻れるよう努力する。
 だから、
 
 「曖昧に避けるような真似だけは止めてくれ」
 
 縋る様な眼差しの先には、困惑した顔の一護がいる。
 ああ、また己はこいつにこんな顔をさせてしまった。我に返って、阿近は自重する様な笑みを浮かべた。
 
 「…………悪い、こういうのが重いんだよな」
 
 全部忘れてくれ。明日からは、きっと普通に接することが出来ると思うから。
 放課後の補講も、昼休みの暇つぶしも、放課後の訪問も。全て無かったことに。
 
 「悪かったな、急に引きずりこんだりして。もう帰って――――」
 
 どん、と背中に衝撃が走った。
 驚いて顧みようとするけれど、確り回された両腕がそれを拒む。
 
 「…………俺は、あんた程頭良くねえから」
 
 あんたが今何を考えて、どうしてそういう結論に達したのか全然分からねえ。けど、
 
 「どうして俺があんたのこと嫌いにならなきゃいけないんだ?」
 
 確かにあんたは変人で、捻くれてるから何を考えているのか、次に何をしようとするのか予測さえ全く立たないし、手に負えない人だけど。
 
 「俺は、あんたのことを嫌だと思ったことなんか一度もねえ」
 
 きっと、初めて出会った遠い日から、ずっと。
 幼心にその紅い瞳は少し怖かったけれど、宿る優しい光に何とも言えない安堵を覚えていたのも確かだ。
 
 「あんたが俺を嫌っても、俺に愛想尽かしても。俺はあんたが好きだ」
 
 自分勝手な妄想に溺れて勝手に勘違いしてんじゃねーよ、そう言って不器用に回した腕に力を込める仕草が懐かしい。
 こんな風に彼と触れ合うのは酷く久しぶりだと、ふと思い至る。
 
 「…………じゃあ、何で俺を避けたりした?補講に来なかったのも話を躱したのも昼来なくなったのも、全部俺を避けてたからだろ?」
 「…………それは」
 「あの、黒髪の奴が関係あるんじゃないのか」
 
 ぽろりと呟くと、一護は驚いたような顔をして、堪え切れないというように破顔した。
 
 「阿近さん、それってヤキモチかよ?」
 「…………」
 「違う違う。檜佐木サンは只の先輩。バイト先斡旋してくれてたんだ」
 「…………バイト?」
 
 しまった、とでも言うように一護が口を覆おうとするのを阿近は許さない。
 はっしと自分よりも少し大きなその手を掴んで言外に追及すると、一護は観念したというように一つ吐息を吐きだした。
 
 「…………もうすぐ、バレンタインだろ」
 「…………は?」
 「ウチの学校、バイト禁止なのは知ってる。けど、何かしたかったから」
 
 曰く、少しでも金を貯める為に短期でいいからバイトを始めようと思い立った時、阿散井の先輩の勤務先で臨時スタッフ募集を募集しているという話が耳に飛び込んだ。
 そして阿散井に渡りをつけさせた先が、あの黒髪の――――檜佐木という名の三年だったらしい。
 
 「言ったら反対するだろ。けど言わないでずっと隠しながら一緒に居られるほど俺は器用じゃないんだよ」
 
 誕生日とか、クリスマスとか。沢山の贈り物と沢山の気持ちを貰ったのに、自分は未だ何も返せていない。
 阿近は随分と早生まれだから、せめてバレンタインデーに何か送りたかったのだ。けれど、親から貰う小遣いを駆使したのでは意味が無い。
 だからと言って彼の為に時間を費やしてバイトをしているなんて阿近が知ったら、きっと止めるに違いないと思った。
 嘘をつくは嫌だった。けれど言及されては困る。気付けば阿近を避けていたという訳である。
 
 「阿近さんなら俺がちょっと居なくても気にしないかな、って思ったんだ…………気にしてたんなら、謝る。隠しててごめん」
 「…………お前は…………」
 
 はー、と深い溜息をついたのを見て、一護はびくりと不安そうな反応を返す。
 怒らせてしまっただろうか。
 
 「俺にだってなあ、人並みに感情はあるんだ。認めたかねえが嫉妬もするし心配もする」
 「心配?」
 「お前は自分の魅力にもう少し頓着するべきだな、取り合えず」
 
 己の目のつかない所でふらふらとされて、悪い虫でもついては敵わない。
 己の為に何かしようとしてくれるのは勿論嬉しいけれど、唯でさえ免疫のない一護に不貞の輩が言い寄るのではないかという心配の方が遥かに大きい。
 いっそ胃に穴が開きそうだ、そう言うと一護はやはり、ぶわと顔を真っ赤にして抗議した。
 
 「お、俺が阿近さんの為に何かしたいと思うのは駄目なのかよ!」
 「別に何かして貰いてえなんて思ってねえよ」
 「だって、いつも阿近さんは俺の喜ぶことしてくれるのに、俺だけ何も出来ないなんて不公平だ…………!」
 「そう思うなら、偶にこうやってお前から近づいてくれれば良いさ」
 
 ふと、勢いに任せて自分が相手を背後から抱きしめたままであることに気がついて、一護はぎゃっと短く叫んだ。
 慌てて距離を取ろうとするが、回した腕を絡めとる指がそれを許さない。
 
 「でもって、そうやって先生呼びをやめて名前で呼んでくれりゃそれで良い」
 「…………大人なのか子供なのか分かんねえな、阿近さんって」
 「馬鹿、少なくともお前よりは数段大人だよ」
 
 恥ずかしくなって、きゅ、とその痩身を抱きしめたまま肩口に顔を埋めると、前から骨ばった手がぽんぽんと自分の頭を叩く感触がする。
 バイトすんのは大いに結構だが誰彼見境なく懐いたりすんじゃねえぞ、と呆れたように言う彼が、やはり酷く愛しい。
 
 「バレンタイン、楽しみにしといてくれよ」
 「未だ言うか」
 「だって、取り合えず今月一杯はシフト入ってるし。恋人が辞めろって言ったから辞めます、なんて勝手なこと出来ねえだろ」
 「…………」
 「昼飯もちゃんと食いにくるし、補講も出るから」
 「…………あの、檜佐木とかいうやつ」
 「え?」
 「何年の、何組だ」
 「ええと…………三年二組、だったかな」
 「よし」
 
 取り合えず後で釘を刺しておこう。
 ひとまずこの腕を引きはがし正面から朱に染まった頬を拝んでやろうと、阿近は小さく笑みをこぼした。



 2011年バレンタインデー第二段。
 阿近さんは存外独占欲が強いと良い。
 修兵…………好きですけど、こういう役回りは多分彼しか出来ないと思って。
 今回は不憫に徹して頂きました。笑