KISS ME ANGEL !

『一護――――っ、今何処に居るんだ?!』
『お兄ちゃん!お友達の家にお泊まりするときは前の晩に言ってくれなきゃ駄目でしょ――――!』
『一兄にも色々事情があるんだよ、遊子。ジジョウがね』
『事情?!ていうかお兄ちゃん今何処から電話掛けてるの?!それ誰の電話?!』
『だから、訊いてやるのも野暮だって』
『父ちゃんはお前をそんな子に育てた覚えh』

回線が繋がった途端轟音のように叫び声が耳に流れ込んできて、耐え切れず一護は通話終了のボタンを押す。
勿論公害は電話口の外の静寂にも漏れ広がっていて、そろりと後ろを振り返ると複雑そうな顔をした阿近が此方を見ていた。

「…………聞こえたよな、今の」
「…………まあ、聞こえたか聞こえなかったかと言われれば」
「…………」
「…………まあ、相変わらず、だな?」
「…………」
「…………まあ、大変だな?」
「…………」
「…………おーい、黒崎ー?」
「…………」

頭を抱えて蹲ってしまった一護から一先ず携帯を取り上げ、ぽんぽんと橙の髪をはじく。
流石にこれは同情せざるを得ない。

「お前のおふくろさんが生きてた頃もまあ、そりゃ酷かったが…………何つーか、なあ?」
「酷いだろ。仮にも高校生の息子に何処まで過保護、つーか過干渉だろ」
「否定はしねえ」
「…………はあ」
「まあ、アイされてんじゃねえの?」
「嬉しくねえよ」

有難うと言いながら携帯を持主に返して、一護はがたりと音を立てて立ちあがった。

「取り合えず帰るわ…………まあ、今更早く帰ろうが遅く帰ろうが言われることは一緒だと思うけど」
「オニイチャン!」
「気持ち悪ぃ声真似すんな」
「ま、面倒になりそうになったら俺に掛けて来いよ」
「何、弁明してくれんの?」
「お宅のお子さんは私が責任を以てお預かりしておりました故」
「言い方がまどろっこしいんだよアンタは」

しかし口ではそう言いつつも、父親が阿近の事を信頼していることは紛れもない事実だ。
新学期早々偶然に顔を合わせた時、心の底から嬉しそうな顔をしていたのをよく覚えている。
彼の元に泊まっていたのだと言えば無断外泊の罪も幾らか軽くなるかもしれない。
そんなことをつらつらと考えている合間、ぽいと与えられた紙切れに携帯の番号が抱えているのを見て、不意に阿近の番号を手に入れてしまった事実に気付いて再び頬が火照った。

「如何した、まだ顔赤いじゃねーか…………真坂ホントに風邪引いたんじゃねえだろうな」
「だ、大丈夫だっつーの。夏風邪は何とかしか引かねえって言うだろ」
「なら尚更気をつけねえと駄目じゃねえか」
「てめえ…………」

ぴきりと額に青筋を浮かべた一護を見て、阿近は柔らかい微笑みを浮かべた。
普段は完全なポーカーフェイスを決め込んでいる彼だが、ふとした時に浮かべる表情の種類は一護のそれを凌駕するだろう。
しかしそれでいて目の前に有る色を見たのは遠い記憶から久しく、冗談とはいえ浮かべていた怒気も瞬時に霧散してしまった。

「じゃ…………ほんと助かった。有難うな」
「おう…………あ、」
「何だよ――――」

背を向けて後手にドアを閉めようとしたところで阿近が発した短音。
反射的に振り向くのと額に柔らかい感触が当たるのは同時だった。

「な…………阿近さん?!」
「お見送りのキス」
「ふ、っざけんなよ…………」
「やっと名前呼びやがったな」
「え」

真っ赤になりながらふるふると震えている上から掛けられた少し寂しげな声色に、一護は顔を上げる。

「お前。"先生、先生"って、他人行儀甚だしいだろ。寂しいっつーの」
「え、だって先生は先生だろ」
「昔みたいに"阿近"って呼べよ」
「…………」
「…………」
「…………」
「…………そんなに俺のことが嫌か、実は」
「そ、そんなことねえ、けど」
「じゃあこうだ。うちに来た時は俺の事ちゃんと名前で呼ぶこと」
「…………また来ても、良いのか?」
「当たり前だろ、"一護"」
「!」

一護が阿近を"阿近"と呼ばないと同様、再会から阿近は一護を"一護"と呼びはしなかった。
それはそうだろう。幾ら昔馴染みとはいえブランクは長く、そして今自分達は"教師と生徒"という関係で。
一護は時偶親しい教師を名前で呼び捨てることがあるけれど、だからといって新任教諭といきなり名前で呼び合うのは不自然と言うものだ。
…………というのは建前で、実際彼が自分を昔のように名前で呼ばないことに大きな距離を感じていたから、呼ぶに呼べなかっただけなのだけれど。

「じゃあな。日曜は大抵家にいるから。何かあったらいつでも来いよ、"一護"」
「お、おう…………ありがと、"阿近さん"」
「さんはいらねえよ」
「いや、それはちょっと」

本気で困った顔をした一護に、阿近はフフと笑いを洩らす。
そのまま今度こそぱたりとドアを閉じた背を鉄板越しにしばし眺めて、やがて顔を大きくはない掌で覆ったままずるずると壁際へ座りこんでしまった。

「…………」

カンカンと音を立てながら階段を降りる一護の眼前にもまた、薄い掌が張り付いている。

「…………」


(明日、学校でどんな顔して会えば良いんだよ…………?!)



 一歩、踏み出してみました。