Enchante!
桜吹雪が吹き荒れる。
少し遅めの春嵐が開き始めた桜花を散らす季節、晴れて大学に合格した俺は卒業を機に一人暮らしを始める。
地元にも大学はあったけれど、どうしても行きたい学校があって。
家族と離れて暮らすことに多少の不安はあったけれど(断じてホームシックではなく、俺がいなければあの親父が目に見えて調子に乗るだろうと考えたからだ)、今年から中学へ進学する遊子と夏梨はしっかりしたもので、親父の手綱は私たちがちゃんと握っているから、と笑顔で送り出してくれたのだった。
「…………やっぱ人多いな」
空座町は田舎でこそ無い物の、やはり都心に比べるとその華やかさには歴然の差がある。
建物の高さも、人の多さも、溢れる音の大きさも。
初めての都会、ではないが、やはりここにこれから一人で住むのかと思うと、家を離れたときに感じたのとはまた違う不安が一護を襲う。
元来一人は嫌いじゃないし、井上や石田も都心の大学へ進学したと聞いているから、知る人の誰も居ない地で孤独に飢えることは無いだろうが、それでもやはり。
「…………会えねえもんな」
高校在学中は、毎日嫌でも顔を合わせる機会があった。
授業が無くとも昼休みになれば化準に入り浸ったし、他愛のない喧嘩をしたから顔を合わせるのは避けたいと思っても、廊下を歩く度擦れ違うのを回避することは出来なかった。
家も近かったから、休みの日に尋ねたり、気分転換に外へ連れ出し一緒に何処かへ出かけたり。
大学院から派遣された正規の教師でなかった彼が、本来の仕事の為大学へ出向く休日は、貰った合鍵を使って家事を片づけたりもした。
そんな彼が、今は遠い。
電話で話すことはままあるけれど、互いにべたべたとした人間関係は好まないのでその頻度もまちまちだ。メールも然りである。
自分が高校を卒業した頃、どうやら彼も赴任先の変更が決まったらしく引っ越しをするのだと聞いていた。
此方は此方で入学の手続きやら引っ越し作業やらで忙しかったので、そう言えば彼の新しい住処が何処なのかも未だ知らされていない。折角貰った合鍵も、もう使えなくなってしまったのだろうか。
ふとそのことに思い当って、何だか急に彼との間にとてつもない距離が開いてしまったかのように感じる。
距離だけでなく、心にも。
「…………阿近さん」
ぎゅっと、携帯を握る手に力が籠った。
メールをしてみようか。電話をかけるのも良い。
ここ数日まともに連絡すら取っていなかったから、此方から掛ければきっと阿近さんは喜んでくれるだろう。
日は未だ高いけれど、今日は休みの日だからきっと出てくれるに違いない。
そうは思うのだけど、何故か指先を動かすのが億劫で。
ピンポーン
身体を動かす脳の指令と指令を受ける身体の反応が葛藤を繰り広げる中、唐突にインターホンの音が部屋に響いた。
荷物を詰めたダンボールは昨日のうちに全て運んで貰っている。
とすると、引っ越し業者に委託し忘れた荷を遊子が送ってくれたのだろうか。はたまた石田か井上が早速訪ねて来てくれたのか。
ピンポーン
「は、はい!」
再度不在を確かめるようにインターホンが鳴らされたので、一護は慌ててドアを開ける。
「居るんなら一回で出ろよ」
「…………え」
「おら、何だその顔は」
「阿近、さん?」
未だ引っ越し先を告げる連絡を彼に送ってはいない。
「何で此処にいるんだ?」
「あ?何でって…………引っ越しの挨拶に来たに決まってんじゃねえか」
「引っ越し?」
「あ?言ってなかったっけか?」
そういうと、阿近さんは紙袋をずいと差し出して言った。
「隣の016号室に越してきました、阿近です。お世話になります」
ぽかんと呆ける一護を前に、阿近はにやりと笑った。
Enchante…はじめまして
教師と生徒の関係からは卒業しました。大学生編でも始めてみます。