号泣する準備は出来ていた。

 気付けば辺りは何処までも果ての無い真白の空間と化していた。
 先程布団に入ったばかりの筈だから、きっとこれは夢だ。
 斬魄刀の世界に入り込んだ時のような奇妙な浮遊感と現実離れした周囲の情景へ理解は追いつかなかったが、それも夢の世界の話だから仕方がないと割り切ってしまえば済む話だろう。
 
 何をするでもなくただぼうっと座り込んだままでいると、ふと背後に誰かがいることに気が付いた。
 比較的他者からの視線や気迫には敏感であるつもりなのだが、どういう訳かこのときだけは何の違和感も無く真後ろにあるその存在に気付けなかったのだから。
 …………全く以て夢世界というのは不可思議なものだと思う。
 ましてそれが会いたくてたまらない、その人のものだったというのだから尚更のことで。
 
 
 「…………成功、したみたいだな?」
 
 ぽつりと呟かれた一人言にはっと背筋が伸びる。
 鼓膜に確と刻みこまれた、低温の良く通るそれでいて涼やかな懐かしい声。
 
 「元気そうじゃねえか、なあ?…………少し髪が伸びたか?」
 
 名を呼んで、振り向いてその深緋の瞳を覗きたいのに、身体の一番深い所が望む行動を妨げる。
 四肢は動かず、震える筈の声帯は音を奏でることを知らない。
 
 「悪いが、今のコッチの技術じゃこれが精一杯だ。そっち側からの干渉は一切出来ねえ…………中途半端で、悪いな」
 
 奏でるなんて大層なものじゃなくても良い。
 せめて断末魔の悲鳴だけでもその耳に届けることが出来るなら、今この瞬間にでも四肢を束縛する法理を破り喜んでこの喉を掻き切るというのに。
 殊勝が常の声音が申し訳なさそうな謝罪を紡ぐ度、心の琴線が聞こえない悲鳴を上げるような気がした。
 
 「どうだ、上手くやってるか?俺に会えなくて毎晩淋しさ余り涙ほろり、なんて言うんじゃねえぞ。気持ちワリい」
 
 …………馬鹿野郎。俺は何処の純情乙女だ。
 
 「…………見えてたモンが見えなくなるっつーのは、中々に不便そうだとも思うが――――ま、元々見えねえのが普通だしな。病気が治って正常の視力を取り戻しましたってとこなら…………そうでもねえのかもしれねえな」
 
 見えなくなったこと自体は万々歳だよ――――って、言いきれねえのももどかしいもんだけどな。
 
 「こっちは今復興で手一杯だ…………新隊長選抜に、それに準ずる席官の異動。欠けた一般隊士の補充。虚圏の調査…………藍染の処置は終わった」
 
 そっか、皆忙しそうにしてんだな…………怪我は、大丈夫なのか?
 
 「実戦に出た各隊長の容体はまあ…………卯ノ花隊長が気張ってるからな。何とかなってるが…………雛森副隊長がどうにもいけねえな。臓器回復をこっちで請け負ってるんだが、精神的衰弱も手伝って思うように進まねえ」
 
 …………大変なんだな。
 
 「ったく。四番隊もホイホイこっちに患者回しやがるから堪ったもんじゃねえぜ。こちとら治療は専門外だ。切った貼ったならお手の物なんだがな」
 
 …………頼まれた所しかいじってねえだろうな。
 
 「あっちこっちいじってやりたいのは山々だが、流石のウチにも四番隊隊長殿に逆らえる命知らずな研究員はいねえからな。残念ながらカルテ範囲内触れるところしか触ってねえよ」
 
 無音の空間に放られる一方的な言葉の欠片は時折一護の心に浮かぶ些細な疑問を救い上げるかのように的確な解答を孕んでいて、音は伴わずとも意思疎通は図れているのではないか、なんて淡い期待さえ抱いてしまう――――勿論それが都合の良い錯覚に過ぎない事は分かっているけれども。
 
 
 「今日、何の日か知ってるか」
 
 ふいに声色が話の矛先を変えた。
 はて何月何日だったかと頭の中にカレンダーを浮かべると、そんな様子を察したかのように答えが導かれる。
 
 「五月五日。端午の節句」
 
 桃の花が咲き乱れる十番隊舎の裏側が記憶の淵に翻った。
 冬獅郎から逃げる途中髪に刺さった薄紅の枝を、手際良く抜き取ってくれたんだっけか。
 
 (ま、桃の節句なんてお前にゃ関係無いよな。どっちかっつーと端午の節句か?)
 
 そう言って皮肉っぽく笑った顔が懐かしい。
 背中合わせの状態で、今彼がどんな顔をしているのか知ることは出来ないけれど、きっとあの時と同じように穏やかな笑みを浮かべてくれている。そんな気がした。
 
 「別に祝いに来たって訳でもねえんだけどな。約束破んのは趣味じゃねえ」
 
 くつくつと含み笑う声を立てる。
 
 「子供の日だからな。毎晩枕を濡らすような餓鬼にゃ必要な祭事なんだろ?」
 
 …………勿論、毎晩枕を云々のくだりは全くの嘘だ。生憎ここ数カ月、涙なんて物を流した記憶は無い。
 それでもこうして子供扱いされるのも随分久しぶりなものだと、少し脳裏が熱くなって、眼窩がごろりと動く感触がした。様な気がする。
 
 
 「ま、精々健やかに育つことだな…………あんまり身長高くなられてもこっちが困るんだが…………食うもん食って確り寝ろ。煙草なんざ吸うんじゃねえぞ。良い事なんて一つもねえんだからな」
 
 ヘビースモーカーのアンタに言われても全く説得力ねえ…………こともないか。顔色の悪さが全てを物語ってる、ってか?
 
 「一応言っとくがこの顔色の悪さは生まれつきだからな。喫煙のせいだとかつまらねえこと考えんじゃねえぞ」
 
 …………どうもスミマセンね。
 
 「いたずらに死期を早めるような真似はすんなよ。大事なモンは確り抱えて落とさねえで、やることやってから胸張ってこっちへ来い。良いな?」
 
 ――――ああ、分かってるよ。嫌っつうくらいにな。
 
 「…………待っててやるから。生き急ぐんじゃねえぞ――――一護」
 
 
 最後にぽつりと呟いた背が何を語っていたのか、知る術を有することすらも赦されない。
 
 
 *
 
 
 窓から差し込む日の光が眩しくて、堪らず一護は目を開けた。
 中途半端に挟まった休日のせいで今週は何だか曜日感覚が狂ってしまっているような気もするが、覚めた所で今日が平日であることは変わらない。
 枕元の目覚まし時計は既に起床予定時刻を大幅に過ぎた所へカーソルをやってしまっていて、親父が起こしに来なかった事に一抹の不審を感じる。
 
 「…………っ」
 
 頬が冷たい。
 朝焼けの美しさを称えるかのような全透の粒が、静かに痕を濡らした。



 夢へ干渉できる機械、の試作品。
 阿近さんは待つと言ったら梃子でも現世に会いには来なさそう。
 とか言いつつ現世での逢瀬も書いてみたいんですが。笑

 タイトル、何処かで聞いて琴線に残っていたフレーズを使ってみたんですが、調べてみたらほぼ同名の小説が御座いました。勿論一切関係の御座いません内容で書いていますので、悪しからず。

 桃の節句のくだり、気になる方はコチラを先に読んでやって下さいまし。